ぼくの愛しい桃泥棒
スレ主 ソラナキ 投稿日時:
恋愛小説の冒頭部分です。
どこかで見た「プロローグには主人公の成功の予感・挫折の感触などを入れろ」との指摘を受けて考えてみたものです。
途中の《》はルビです。
プロローグ
『まずひとつ記しておくが、ぼくは小説家ではない。
昔取った杵柄で少しは書に通じているものの、今では錆びついて久しい。
妻曰く大層達筆らしいが、彼女はぼくに関することでは基準が甘くなりがちである故、此度は信じないこととする。
(中略)
ぴかぴかに磨かれた舞台の上。賞賛される作品。誇らしき入賞者。
そこにぼくの姿はない。在るのはぼくの兄ひとり。他はきっと木偶人形。
ペラペラと、ぼくを褒めたその口に、ぼくは価値を見出せない。
「我らは公平、誰であろうと傑作ならば取り立てよう」——それを言ったのは誰だったか。ああ、あそこの木偶だったか。
所詮ぺらぺら、はためく和紙より低質な、生きる価値のない屑どもだ。
「君、まだいたのか。ほら、帰りなさい。お兄さんの邪魔になるよ」
おそらくは善意と、わずかな嘲りからの忠告は、しかしぼくの目を向けさせる程度にしかならなかった。
「な、なんだその目は。怒ってるのか? いくらお兄さんが立派だからって、そんな目を向けちゃあダメだろう」
そうだろう。兄は立派だろう。愚兄はほんとうに立派だろう!!
ぼくが一々確認しながら、大切に大切に大切に書いたぼくの名前を——|額《・》|縁《・》|に《・》|隠《・》|し《・》|て《・》、ああして笑っていられるのだからッ!!
人は、己の作品を魂だと云う。
その通りだ。ぼくの魂はこれほどまでに叫んでいる!
——憎み殺せ、奪い殺せ、奪い返して殺し尽くせと。
必要なのは筆と墨。描くのは何処でも構わない。何処であろうと殺してみせる。
右の拳を握りしめてはたと気付く。|少《・》|々《・》|赤《・》|い《・》|が《・》|こ《・》|れ《・》|は《・》|墨《・》|だ《・》|と《・》。
近くに壁に擦り寄って、歓喜に染まる憎悪とともに、手のひらから溢れる墨をたくさん掬って擦り付ける。
不格好でも構わない。ヒトでなくとも構わない。殺せるのならそれでいい、化け物だろうが知ったことか。
「なっ、や、やめなさい! 殴られたいのか!」
木偶と愚兄の血と肉と、それらが弾ける瞬間を!
夢見たそれを夢に留めず、現《うつつ》に夢を記し描く。ぼくの心に棲まう鬼蛇《おにへび》、出るなら今だ殺し尽くせ。
腹を蹴られて転がって、転がりながらけらけら嗤う。
——上出来だ。
「題目《たいとる》、は——」
眼前で産声をあげるもの。ぼくを蹴った男が逃げる。どうでもいいから逃がしてやって、あとでまとめて縊り殺そう。
破綻した脳髄の裏、ぴりぴり弾ける快楽神経が焼き切れそうなくらいぼくは笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う。笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑う笑え。
「血之絵《ちのえの》、縊鬼《いつき》」
——正倉院保管『中天応元黄聖四架瑞獣』付属伝記・『我が生涯の桃源郷』より抜粋