深緑の第4話 全4話で完結
最終話・深緑の第4話
作者 石橋ゲル 得点 : 5 投稿日時:
「そんな――嘘だ」
文月は覚えている。子供ころから、彼女はずっと一緒だったはずだ。それが一年前?
それなら――いままで彼女と歩んできた十数年間は何だったんだ。
「騙すつもりはなかったの」
紫鏡はうつむき、スカートを翻して背を向けた。
「そうよ、今までずっと幼馴染だったのは、嘘――私があなたを書き換えた」
そう漏らすようにつぶやくと、急に振り向いた。今まで見たことのない紫鏡の眼差し、まるで心の中まで見透かされてしまうような鋭い眼光がやどっている。文月は彼女の眼をじっと見つめたまま、一言も口がきけなかった。
「私がおかしくなったのは、こっちに来てから――私に友達がいない理由がわかる?」
ひたひたと歩み寄る紫鏡。文月は気圧され、後ずさる。
「違う時代に生きた私は、この時代ではなじめなかった。転校してすぐ私はすぐにいじめられた――私を疎外したアイツら、いつか復讐してやるって思った。でもその必要がなかった」
ついにドアまで追い詰められた文月、じりじり距離を詰められ、ついに吐息がかかりそうなところまで近づいてくる。
「私の眼には力があるの、あの時電車から飛び降りた時、私のすべては変わってしまった。私はなんでも思い通りに“人を変えられる”」
「人を……変える?」
「そう――」 この時初めて、男がこちらに語り掛けてきた。
「――彼女は曲がった次元を飛び越えたとき、創造者の力を得た。今を変えたいと強い思いが、彼女に心を操る力となってあらわれた」
「なら……こんな回りくどいことをしなくたって、俺の心も好きなように書き換えたらどうだ!」
文月は力強く反論した。勇気を振り絞ったというより、恐怖を押し隠そうと強引に絞り出した強弁だ。
「できない――」
紫鏡は悲し気に声を漏らした。
「――あなたの記憶を書き換えられても、文月の気持ちまで好きなように書き換えられなかった……いつも文月は、私を見ているようでどこか拒絶してるの」
力なくのばした手が、文月の頬を撫ぜる。いとおしいげに、壊れ物を扱うような優しい手つき。
「拒絶なんか――」
――していないさ。文月は最後のところを言い出せなかった。勇気がなかったから。
文月はいつも輝いて見えた紫鏡を、自分の恋愛対象に置くことができなかった。自分とは不釣り合いだと思っていた。自分なんかよりもっとずっといい男子がいるって思っていた。
答えは、決まった。
「いっしょに――」
「――行ってやるよ」
壊れかけた彼女の心から漏れ出た消えそうな声を、文月が振り絞って声でつないだ。
「40年前だろうと、どこだろうと、お前と……紫鏡と一緒にいたい」
「本当?」
紫鏡の眼に浮かんだ狂気の光は消え、いつもの笑みが戻る。
「決まったな、では次の駅で降りるといい」
男はひげをいじりながら、座席に腰を下ろす。
「次は――駅」
アナウンスの声は耳に入らない。彼女をそっと抱き包み、ただこの瞬間を紫鏡と一緒にいたい、その気持ちで満たされていた。
やがて電車は止まり、扉が開く。いつまにか日がすっかり暮れ、青紫の日が差す深緑の山々や田園風景は、まるで群青色に一面染め上げられ、そのせいか駅舎はまるで死んだような静けさだった。
「さあ、行こう。文月」
先に手をったのは、紫鏡だった。こういうのは男の役なんだけどな、などと文月は思いながら、それに従って電車を降りたった。
閉まるドアのふと振り返ると、男も顔をこちらを向け、見送ろうという具合だった――ただ、その笑みは、どういうわけか純粋な笑みには見えなかった。
「ねえ、覚えてる?」
彼女はそっと耳元でささやいてきた。
「行きたいところへ、“強く念じればいい、念じれば”――だよ?」
文月はハッとして、紫鏡の顔を見た。
「さあ、いっしょに行きましょう? 私たちの時代へ」
彼女の瞳に狂気が宿った瞬間を、文月は一生忘れられないと思った。