Megaptera stratosfera
作者 三文山而 得点 : 3 投稿日時:
その世界は、空の上に“歌”が流れていた。
その歌は、雪よりも静かにゆっくりと、それでも確実に地上まで降りてきた。
地上では、運が良ければ“それ”が歌いながら空の向こうを漂うように飛ぶのが見えた。
“それ”を兵士たちが見つけてしまっただけで、戦争が止まってしまったこともあった。
戦争を止めざるを得ない程に美しく不思議な調べの、人間の心を癒す歌だった。
人間は山に登り、空を飛び、“それ”に少しでも近寄ろうとした。
だが幾ら昇れど遥か彼方の成層圏を往く“それ”に近づくことは、ついぞ叶わなかった。
“それ”は非常に大きな体を持っていた。世界中の学者がどうやって飛んでいるのかを考えたが、結論は出なかった。
“それ”は非常に高い場所を飛んでいた。世界中の技術者とパイロットがより高い空を目指したが、辿り着けなかった。
“それ”は非常に美しい声と姿をしていた。世界中の画家がその姿を描き、世界中の彫刻家がその形を掘り出し、世界中の音楽家がその歌を元に曲を作り、世界中の詩人がその存在を詠ったが、本物を超えることはありえなかった。
“それ”は謎に包まれていて、世界中の探検家が「ずっと飛び続けているわけではない筈だ」と降り立ちそうな場所を探したが、そんな場所は存在しなかった。
“それ”は非常に人を惹きつけ、世界中の人々がその正体について、「神の化身」とか「天使」とか「未知の生物」とか「かつて滅びた古代文明の遺産」「宇宙人の造った機械」と、自由に考察、想像、妄想したがどれも説得力に欠けた。
その歌すらも常に変わり続け、途切れたところを聞いた者は無く、“それ”についてわかっているのはどのような歌を歌っているのか、どのような形をしているのか、それと飛んでいるのがとてつもなく高い場所であり、そこから非常に大きな体であると推察されること、後は人間によってつけられた“それ”の名前くらいだった。
メガプテラ・ストラトスフェラ。成層圏を飛ぶ大翼。学者たちとしてはそのような言葉でしか表せなかった。その存在を賛美もせず、多彩な美辞麗句で飾り立てることもしない。だが、その名前は“それ”の実態をどんな詩人よりも的確に表していたのかもしれない。
凍りついたような蒼穹の空に包まれ、音速よりも速く空を駆け抜ける。その翼が休む日も来ないし、歌を止めることもない。永久に孤独なまま、“それ”は人々が聴いていようといまいと唯、歌うために存在し続けた。その世界の人々は“それ”がどれほど速く飛んでいるのかにも気が付かぬまま、魅了され続けた。