首無し姉妹
作者 粘膜王女三世 得点 : 8 投稿日時:
カブトムシという生き物は、死んだ後何もしなくても首が胴体から勝手に外れてしまう。それはというのは、首と胴体を繋いでいるゼラチン状の物質が死後に壊れてしまうからなのだけれど、当時の幼い私はそれを知らなかった。だから、朝目を覚ました時飼っていたカブトムシの首が外れているのを見て、酷く取り乱した私はそれを妹の仕業だと決めつけてしまった。
当時十歳の私の双子の妹には夢遊病の気があって、夜中に両親の寝床へやって来てはアニメのキャラクターの名前を泣き叫んだり、一人で公園に出かけてバネの上に動物の乗り物が付いている遊具を一晩中揺らしていたりしていた。朝方公園で発見された姉に何故そんなことをしたのかと問うと、支離滅裂な口調で『こうしないとママやパパやお姉ちゃんが死んでしまうから』というようなことを真剣な様子で喚き散らした。カブトムシの首をもぎ取るくらいのことは、寝ぼけ眼でやってしまってもおかしくはない女の子では確かにあったのだ。
怒りに目を赤くして激しく責め立てる私に、妹は『違うよ違う、私じゃないよ、覚えがない。きっと違う、多分違う、違うと思う』などと涙を流して訴えた。それでも私は丁寧に論駁して無実の罪を認めさせ、虫の亡骸に土下座をさせ、禊と称して三角コーナー捨ててあった野菜の屑と卵の殻と腐った魚を食べさせたあたりで、両親にしばき倒された。
自分が悪いからと両親に殴られる私を庇い、両親の制止を振り切って賞味期限切れの鮭の切り身を口に詰め込んだことで妹は私から許された。だがそれからカブトムシの頭部がどうしてああなったのか真実を二人が知るまでに、五年の月日を要してしまった。
『大昔のこととは言え、あんたの所為にしてごめん。あの時はペットが死んでパニックだったんだよ。冷静じゃなかったんだ。これからは何が起きたって何のアタマが捥げたって取り乱さないし、あんたの所為にはしないから』
スマートホンの画面を指さして顔を真っ赤にしながら大昔の己の無実について語る妹に、私はそう約束した上で向こうが納得するまで謝罪してやった。子供部屋に敷いた二枚の布団の片割れで、夜中まで妹に不平を言われ続けた私は、若干の反省と巨大な理不尽を感じながら、泥のように眠りに着いた。
〇
その翌朝。
目を覚ました私の隣で、妹の同体から外れた妹の頭が、私の頬っぺたの二センチ傍に転がっているのに気付き、私は絶叫をあげた。
〇
「うぁああ!」私は身震いして飛び上がり、妹の頭から距離を取る。「ぎゃぁああ!」
心臓が引きちぎれるような驚愕と共に、こんなことは絶対に現実であってはいけないという願望と絶対にこれは夢じゃないという実感が腹の底から沸き上がり、私は目が回るような心地を覚えた。
その声に驚いたのか、妹が頭が目を覚まし、妹の胴体はもぞもぞと布団から這い出した。お揃いにしようと言って聞かなかった上色の主張まで譲らなかったピンクのパジャマの袖で目をこすろうとして、小首をかしげる代わりに手首を晒した。
「ああ……」妹は気のない声で言って、傍に落ちていた頭を持ち上げる。人形のアタマそのものであるかのような、白くて小さくて綺麗に整ったショートボブの頭だった。「ここか……」
「ここか……じゃないっ!」私は言って妹に迫る。「取れてる! アタマ、取れてる! あんたのアタマ、取れてるんだよ!」
「別にそんなおかしなことらないよおねぇちゃぁん」言いながら妹は自分の胴体の上に自分の首を置く。「カブトムシだってぇ、死んだら首、取れるでしょ? 昨日言ったじゃない、首と胴を繋いでるゼラチン状の物質が壊れることによって……」
「そういう問題じゃない!」私は妹の肩を掴んだ。「あのねぇのんちゃん。いくらぼんやりしたあんたでも流石にこれを間違えてはいないだろうとは思いつつ言うのだけれど、つまりあんたはカブトムシじゃなくて人間である訳なのよ。そこは理解してるんだよね?」
「そうだね。わたしはカブトムシじゃなくて人間だよ」
「うん。で、それを前提にして話すんだけど、やっぱりアタマと胴が生き別れになっているっていう状態は、生物学的におかしいと言わざるを得ないんじゃないのかな?」
「別にそんなおかしくなくない? 人間だって犬だって猫だって、斧で首を跳ねたらアタマと胴体は離れ離れでしょう?」
「そりゃあまあそうだけど、でも問題はそういうことじゃなくて……」
「だいたいにおいて」妹は私の首を指さした。「お姉ちゃんの首だって、首から離れてるよ。繋ぎ目がはっきり見えてるもん」
私ははっとして固まった。目を大きくして震えている私に小さく微笑んで見せると、妹はそっと私の頬に両手を添え、ぐにぐにと小さくいじくった後、優しい力でそっと持ち上げた。
視線が高くなった。首のあたりがなんだかぞっとする感じにスースーし始めた。
「回れー」妹がそう言って私の頭を翻す。「右っ!」
右回転した私の頭が目にしたのは、首から上の存在しない私の胴体だった。
「ぎゃぁああっ!」私は吠えた。「私の首がぁああ。なくなってるぅううっ!」
「ここにあるじゃん」言いながら私の首を女の子座りした自分の膝において、指先でほっぺたをぷにぷに弄う。「大丈夫だって。上に乗っけとけきゃ支障ないんだから。そんな大きな声出したら、ご近所迷惑になっちゃう」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょう?」私は胴体を動かして床をバンバン叩く。妹に抱きかかえられたアタマで吠える。
「別に大丈夫だって。首から上が胴体から外れても、立派に生きてる人はいくらでもいるんだから」
「その立派に生きている人の例えを一つでもあげてから言ってもらえない? っていうかのんちゃんあんたなんでそんな冷静なの」
「ええだって別に痛かったり困ったりしてないし」
「真面目に考えようよ。その今が良ければそれで良しみたいなところ良くないよ。ちゃんと話し合おう?」
「まだねむーい。朝ってきらーい。ゆーうつー。あー顔洗うの面倒だなー。ねえお姉ちゃん、私ここで寝てるから、代わりに顔洗って来てくれる?」
「自分の分しか洗えんわ! って……洗えるし」言って、私の胴体は妹の首から妹の頭を持ち上げた。「洗って来てやるからさっさと目ぇ覚ませ! ちゃんとじっくり話をしてよね!」
「面倒見良いんだからこのお姉ちゃんはぁ……」
そうやって私は妹の頭を抱えたまま洗面所に向かおうとして、視界に変化がないことに気付いてすぐにUターンする。そして妹の膝の上においてある自分自身の首を拾って、自分の胴体にくっ付けた。