見物の車を炙る野焼かな
回答者 イサク
こんにちは。
前の句、私は、「見物の車を払う手が野焼きされている(=焼かれている)」という意味で受け取りまして、?????となっておりました。
この句の方が少しは理解できるようにはなっておりますが、コメントを読んでなければ「車を払う野焼」がよくわからないと思います。擬人化せずに「炙る」を使った方がよいかもしれませんね。
点数: 1
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作者 根津C太 投稿日
回答者 イサク
こんにちは。
前の句、私は、「見物の車を払う手が野焼きされている(=焼かれている)」という意味で受け取りまして、?????となっておりました。
この句の方が少しは理解できるようにはなっておりますが、コメントを読んでなければ「車を払う野焼」がよくわからないと思います。擬人化せずに「炙る」を使った方がよいかもしれませんね。
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回答者 秋沙美 洋
こんにちは。
根津さんに限った話ではありませんが、自分の句をもう少し客観的に見る力は身につけたいですね。
今回の句を読んでも前回の句を読んでも、そして改めて句意を読んでみても「車を炙る野焼きの火が手のようだった」という意味をスッと飲み込むのは、やや難しい所があります。
「〜〜手の如く野焼き」「〜〜手のごと野焼き」という形にすれば、ひとまず比喩と分かります。
しかし比喩一本で勝負するとなると、陳腐な句になりやすいです。よほど目新しい表現を見つけない限りはね。これが「〜〜のごと俳句」が難しいと言われる所以です。
僕にその技術はないので、とりあえず野焼きと車の取り合わせで参考句捻ってみました。いかがでしょうか。
「助手席の妻の寝息や野火猛る」
点数: 1
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コメントを見てビックリしました。
えー!!そう解釈されちゃうのーー??と
YouTubeでみた野焼きに炙られる車を見て、その炎がまるで手のようだったという意味で
「見物の車を払う手 is 野焼」としたつもりだったのですが。
そんな解釈をされるような日本語だったなんて、
先が思いやられます。とほほ。