「余寒なり今朝珈琲の苦すぎて」の批評
回答者 腹井壮
かぬまっこさん、おはようございます。いつもコメントや添削有り難うございます。
季語が動くのは最初っから当たり前と自分は考えています。いくつかある季語の選択肢の中からこれがベストだと読者に思わせると「季語が動かない」と言われます。逆に選択肢を誤ったと思わせたら「季語が動く」と言われてしまいます。かぬまっこさんの仰る「大半の俳句
は季語が動くのではないか」とはこういう事だと思います。
選択肢を誤ったと思わせるパターンの多くは季語の後付けに多いようです。ハオニーさん程上手く説明できていませんが参考になれば幸いです。
ところで秋冬物の俳句にコーヒーは類想を超えて定番中の定番ですね。ですが「余寒」は春の季語です。上五でなりと強く言い切る所にかぬまっこさんの気っ風の良さを感じます。そしてコーヒーがいつもより苦く感じた。その理由は「余寒」の「余」にあるのではないかと思います。
点数: 1
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季語が動きますよね。そもそも、大半の句は季語が動くと思いませんか❔その季語で景色が全く変わる❗