「雨降るや芒種に肥の畑閏う」の批評
回答者 ピンクよっちゃん
よろしくお願いします。
厳しくというご要望なので、ちょっと辛口でやらせていただきます。
季語の『芒種』は二十四気の一つ、今だと六月六日頃ですから、まさにタイムリーですね。本来これが主役となるべきですが、この句はそうなっていないと思います。
降る雨、芒種、肥(私は肥料だと思いました肥◯◯という穀物の意味だったらす済みません)、畑(しかも潤っている)次々と出てくる情報をイメージするだけで、読者は疲れてしまいそうです。
読み手の頭の中には、句の最後の景が残りますから、(この句の場合は潤っている畑)読者にしてみれば「さて、この畑が潤っているのは雨のためなのか、芒種のためなのか、それとも肥料のためなのか?」となってしまいます。「この句は結局なにが言いたいんだろう」と。
そうならないためには、まず情報の整理が必要だと思います。
ほとんどの場合、芒種は畑で行われますから『畑』は省けます。(厳密には稲の芒種もありますが田植え関係は他の季語がありますので、ここでは麦の芒種と考えます)
句の文脈からすると芒種が畑を潤したとも解せますが、表現として不自然さがありますので、雨の水分と肥料の養分で潤っているとしましょう。
「雨と肥の親しむ土に芒種かな」
あめとひのしたしむつちにぼうしゅかな
雨と肥料がいい具合に混じった「豊かな土」を読者にイメージしてもらい、最後にその土に(畑に)種を播いている姿が残るというわけです。
「潤う」は詩的なのですが、ありがちな言葉なので違う表現にしてみました。
提案句の良し悪しは別として、原句で使われている言葉、作者がイメージした映像を最大限活かしたつもりです。
少しでも参考にしていただければ幸いです。
点数: 2
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