俳句添削道場(投句と批評)
ピンクよっちゃんさんのランク: 達人2段 合計点: 33

ピンクよっちゃんさんの俳句添削依頼

最新の投稿順に並んでいます。回答が付いた投稿が先頭に移動します。

しわくちやの去年のメモ棄て衣更ふ

回答数 : 4

投稿日時:

いなだはまち様へ

回答数 : 3

投稿日時:

衣更ふ瞬時去年の香のしたり

回答数 : 2

投稿日時:

要望:厳しくしてください

トップページへ

ピンクよっちゃんさんの添削

「なすの花きうりの花と咲きにけり」の批評

添削した俳句: なすの花きうりの花と咲きにけり

いやいや、それでは添削ではなく改作、いやそれどころか改悪です。
皆さん季重なりを気にしておられるようですが、それではこの句の魅力が分からない。
私が先に述べました通り、二つの季語は並列的に配置されているのであり、殺し合う事なく互いに補完し合っているのです。
それを片方だけ目立たせてしまったら絶妙のバランスが崩れ、それこそ季重なりに堕ちてしまう。
この句に於いて季重なり問題は些細なことであり、注目すべき点は他にあります。
それは句形、この句のフォームです。

赤い椿白い椿と落ちにけり
なすの花きうりの花と咲きにけり

題材(椿、畑の花)と景(落ちる、咲く)
は違いますがフォームは全く同じです。
まずは河東碧梧桐句の「と」にご注目下さい。「の」でも「が」でもなく「と」。この「と」によって、椿が落ちているという現象に連続性が生まれ、読者の脳内に赤、白、また赤、白、赤白赤白…落ち続ける「時間」の映像が現れます。
作者はその効果をまるまる活かし、二種類の野菜の花から広がる、夏の畑の「空間」を描いて見せたのです。私はこれをパクリなどではなく、碧梧桐句の強固な「形」を信じ切った、先行作品へのオマージュと読みました。
もう一つ注目すべき点は「なす」「きうり」のひらがな書きです。
二つの句を並べて見た時に、題材の存在感の違いは明白です。
碧梧桐句は椿の落ちてゆく景色を見せるわけですから、椿の一個一個をはっきり存在させなければならない。一方この句においては野菜畑全体を想像させたいので、野菜の花一つ一つをそれほど明確に印象づける必要はない、いやむしろ目立つとかえって邪魔、季重なりの印象も強くなってしまう、ゆえの必然性のあるひらがな書き。
ここに作者の、周到に考え抜いた作品への配慮を感じます。もし漢字だったら、句の印象はがらりと変わったでしょう。
以上の事から、この句に添削の必要はないと判断します。名句の強いバックボーンがあって、その上に繊細な工夫を施された作品になど、おいそれとさわれるものではありません。
ただ、一句としての完成度の高いこの作品といえども、例えば総合俳句誌などに投句した場合、何千句の中に埋もれた時には、繊細な技巧を見落とされて、にべもなく類想類句の判定を下されてしまう可能性がある。そうした観点からも、やはり問題にすべきは季重なりではなく、実に「そこ」なのです。

いなだはまち様、私は作品を評価するのであって、作品に「失望した」のです。久田様という「人」に関しては知りようもなく知らないのですから失望のしようもない。その事だけは申し上げたく、こうしてまた出て参りました。しかし、あの時には感情の昂ぶりが確かにありました。久田様には詩を書こうとする意志を感じていましたので「それがこういうのを書くのか!」という苛立ちはありました。それで荒い口調になってしまったのは認めます。「失望しました」には確かに感情がこもりました。
その点は久田様に対しても謝罪したいと思います。済みませんでした。

先にも申しました通り、私は俳句を「読む」のが好きな人間です。自分の中には創造の種は何も無い。他者の作った作品を前にしてしか想像力が働かないのです。
実作者への志向がまるで無いということは、本道場の主旨から逸脱します。
意識せずに無遠慮を働いてしまう私の性質と考え合わせても、やはり、退出が最善の途かと思われます。いなだ様のお声掛けにそむくかたちになり、心苦しいのですが、皆様の俳句の上達を祈念しつつ、これで失礼したいと思います。
ありがとうございました。

点数: 1

「雨降るや芒種に肥の畑閏う」の批評

添削した俳句: 雨降るや芒種に肥の畑閏う

よろしくお願いします。
厳しくというご要望なので、ちょっと辛口でやらせていただきます。
季語の『芒種』は二十四気の一つ、今だと六月六日頃ですから、まさにタイムリーですね。本来これが主役となるべきですが、この句はそうなっていないと思います。
降る雨、芒種、肥(私は肥料だと思いました肥◯◯という穀物の意味だったらす済みません)、畑(しかも潤っている)次々と出てくる情報をイメージするだけで、読者は疲れてしまいそうです。
読み手の頭の中には、句の最後の景が残りますから、(この句の場合は潤っている畑)読者にしてみれば「さて、この畑が潤っているのは雨のためなのか、芒種のためなのか、それとも肥料のためなのか?」となってしまいます。「この句は結局なにが言いたいんだろう」と。
そうならないためには、まず情報の整理が必要だと思います。
ほとんどの場合、芒種は畑で行われますから『畑』は省けます。(厳密には稲の芒種もありますが田植え関係は他の季語がありますので、ここでは麦の芒種と考えます)
句の文脈からすると芒種が畑を潤したとも解せますが、表現として不自然さがありますので、雨の水分と肥料の養分で潤っているとしましょう。

「雨と肥の親しむ土に芒種かな」
あめとひのしたしむつちにぼうしゅかな

雨と肥料がいい具合に混じった「豊かな土」を読者にイメージしてもらい、最後にその土に(畑に)種を播いている姿が残るというわけです。
「潤う」は詩的なのですが、ありがちな言葉なので違う表現にしてみました。
提案句の良し悪しは別として、原句で使われている言葉、作者がイメージした映像を最大限活かしたつもりです。
少しでも参考にしていただければ幸いです。

点数: 2

「梅雨迎え短い髪や坊主狩り」の批評

添削した俳句: 梅雨迎え短い髪や坊主狩り

『坊主狩り』という印象的なフレーズが目にとまり、読ませていただきました。
この『坊主狩り』を字義通りに受け取れば、通称「坊主頭」と呼ばれる極端に髪の短い人たちを、あるいはやや蔑称的に「坊主」と呼ばれる僧侶たちを、捕らえてまわるか殺してまわるという事になり、それはそれで大変興味深い景ではあるのですが、句全体を見てもコメントを読んでも、そのような禍々しい行為に結びつくものは何もなく、これはもしかしたら単なる「坊主刈り」の書き間違いではないかしらんと思い至りました。
その前提で推敲案をいくつか提示させていただきます。

「梅雨に入り坊主頭の気持ち良し」
つゆにいりぼうずあたまのきもちよし

「入梅や短髪さらに坊主刈り」
にゅうばいやたんぱつさらにぼうずがり

「短髪を坊主刈りへの梅雨入かな」
たんぱつをぼうずがりへのついりかな

「短髪を坊主頭に刈る梅雨入」
たんぱつをぼうずあたまにかるついり

四句目は中七から下五への句またがりになります。
梅雨入(ついり)は俳句独特の言い方で日常では使われません。
推敲されるときの参考にしていただければ幸いです。
お名前とコメントから察するに外国の方でしょうか?もしそうであれば、日本語の習得とともに、俳句をおやりになるのは素晴らしい事だと思います。楽しみながら頑張って下さい。陰ながら応援させていただきます。

点数: 1

「踏み出して径は遥かへ夏野ゆく」の批評

添削した俳句: 踏み出して径は遥かへ夏野ゆく

カッコイイですが既視感があります。
Jポップの歌詞のような。
踏み出さなくてもいいし、径は遥かでなくてもいいです。
月並み。失望しました。
次作に期待します。

点数: 3

夕立過ぎ昨日のカレー温める

添削した俳句: 夕立のあと温めるカレーかな

この句に、そこはかとない哀感を感じてしまうのは私だけでしょうか?
『温める』に注目しました。
私だけの感覚かも知れませんが、カレーはたいてい夕食として作るもの(?)、だとすればこのカレーはその日の昼や朝作られたものではない。とすれば、この句の主体は昨日のカレーを温めている。と、勝手に想像しました。
で、それを書いてペーソス度を上げようと…
的はずれだったらすみません。

点数: 1

ピンクよっちゃんさんの添削2ページ以降を見る

トップページへ
添削依頼をする!

「私はロボットではありません」にチェックを入れてください。

▼添削依頼された俳句の検索

▼添削と批評(返信)の検索

ページの先頭へ

俳句添削道場の使い方。お問い合わせ

関連コンテンツ