おはようございます。
難しい話は苦手ですので、二つお伝えします。
一つは、義務と習慣とストレス。
もう一つは、字の持つ力です。
私は、50歳まで習慣的喫煙者でした。ある日突然禁煙をしました。神のお告げと言うと言い過ぎですが。
暫くは、習慣との戦いでしたが、お陰様で
今では「吸いたい時には吸えばいい禁煙者」になりました。
たまに飲みの席で悪戯らをして、翌日痛い目に合うことも年に一度はあります。
吸わない習慣を手に入れるまでは、暫くストレスとの戦いでした。
俳句
を朝晩に一句作られていると伺いました。恐らく習慣になるまでご自身に義務を課しているのではないでしょうか。
恐らく某かのストレスが生じていると思います。私の禁煙時と似ている気がします。
私自身、俳句を義務のように捉えて、体調を一時崩しました。習慣になかなか出来ていなかったのですね。ストレスに負けた感じです。
今も、毎日のように、詠んではいますが、禁煙と同じ感覚で、ストレスなく続けられそうな気がしています。ゆるゆると。
字の持つ力ですが、
東京とTOKYO、都の読み方「と」と「みやこ」。
東京という字には、文明開化、憧れ、空襲、都会、人混み、江戸前、など人によりイメージを脹らませます。
TOKYOは、世界の中の都市、ビルが建ち並ぶ四角い街、情報発信基地などとイメージする人が多いのではないでしょうか。
「と」には、想像が脹らみ難く「みやこ」には、歴史を感じたり、京都や銀座をイメージしたりするのではないでしょうか。
俳句は、たった17音の詩ですが、季語
や言葉、文字の持つ力を最大限引き出してあげる作業のような気がしています。
作者の思想めいたものは、読者が勝手に感じれはいいと思っています。
俳句をストレスなく、習慣として続けられるようになりたいものです。
そこに行き着くには、やはり相応の負荷をかける必要はありますが、たまに一服するのも悪くないのかも知れませんね。
添削のお礼として、いなだはまちさんの俳句の感想を書いてください >>
いなださん、なるほどやっと言っている意味がなんとなく分かりました(もっと読解力が欲しい)。風情もへったくれもない情景を愚直に詠んだ結果こうなったんですね。なんだか私の中で勝手に午前と午後それぞれ一句くらい作らないとダメだと思って色々見たものを片っ端から貪欲に詠んでます。確かに、鯉幟が目に入ったから「とにかく読まなきゃ」ってなってました。無理は良くないですね。
とかいいながらも、この句に情緒は無いですね。
かなり思想性の強いというか。ごめんなさい、どうしても言いたくなりました。
私は、ニュースを基本的に見出しだけを見て詳しく読まないようにしています。
最近のコロナのニュースでよく見る「このご時世にサーフィンや潮干狩りをするなんて、無差別に刃物を振り回すようなもんじゃないか」っていう話が苦手です。
なぜなら、利己主義な彼らからすれば「自粛自粛言って何で俺の気持ちを誰もわかってくれないんだ?分からないやつの事なんて知らねぇ外出たらぁー!」って思うのは何にも不自然じゃないからです。
もっと彼らの抱えている思想に向き合おうとせずにただただ批判する全体主義も今の問題を詳しく考えようとしない人達なんだろうなと思います。
解決する気が無く批判して気持ちよくなりたいだけなのか、解決したいけどどう考えたら良いのか分からないのか。(私だってわかりませんが)
利己主義も全体主義も、他人の個々の感情に対してはかなり鈍感です。前者は他人を平気で傷つけ、後者もはみ出し者を容赦なく傷つけます。お互いを批判し合っている社会にいると思うとなんだか死にたくなります。
そういう理由で、私はニュースを見ません。
今日も、他人がどうしてるかよりも自分の心を見つめる努力をしています(これが結構難しい)