「亡き祖母は寺で往生秋の暮」の批評
回答者 04422
こんばんは!
おばあ様はおくら様にとって一番大切な方なのですね。
お亡くなりになった場所がお寺さんで又親しいご住職様との会話の途中あったとは極楽浄土ですね。かぬまっこ様がおっしゃっている様に亡きと往生は一緒だと思います。
◆境内に祖母往生の秋の夕
としてみました。夕の方が何かおばあ様の優しさが出る感じがしましたので…。
お体にはくれぐれも気を付けてお過ごしください。
点数: 1
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おはようございます。
原因不明の背中の腫れが、少しずつ引いてきた、おくらです。
今から話す話は純度100%の実話です。
幼き私を護ってくれていた「祖母」は、7年前の9月29日に亡くなりました。その夫である祖父は、20年以上前の9月27日に亡くなりました。
「祖母」が亡くなったのは、祖父の供養をするため、彼女の実家である新潟の田舎家から200m程離れたところにある、曹洞宗のお寺の境内で、読経が終わり、長年の付き合いである住職さんと楽しくお話をされていた時のことだったそうです。原因は「くも膜下出血」でした。
その供養には、「祖母」と母が参席していたのですが、「くも膜下出血」の激痛に意識が朦朧とする中で、彼女が最期に残した言葉は「(僕の名前)に電話…」だったそうです。
当時は、まだ母とほぼ絶縁状態に近かった私は、そのことで大分、母に責められました。「お母さん! なんで、娘のわたしじゃなくて、孫のことを心配してるのよ…😢」と。
でも、その〈祖母の死〉がきっかけで、私と母は腹を割って話すことになり、結果、現在では、同居できるレベルにまで、和解をすることができました。
亡き祖母は、六人兄弟姉妹の長女だったこともあってか、責任感が強く、朗らかで、おしゃべり好きな、まるで、向日葵のような人でした。
そんな人柄に惹かれてからか、友人も多く、新潟の田舎家に帰ると、近所に住む旧友やお寺の住職さんとの茶飲み話に話を咲かせていたのをよく覚えています。
祖母にオカルトめいた力があるとは一切聞いたこともないし、実際どうだったのかは定かではないのですが、今、思い返すと不思議な出来事が多かった気がします。
幼き私は、よく祖母に新潟の田んぼ沿いの山道に、散歩に連れていってもらっていたのですが、祖母と一緒の時に限り、かなりの割合で、野生の動物にでくわすんです。とはいっても、田んぼを一・二畝ほど離れた草むらから、狐や狸がこっちを見つめているだけなんですが。すると、祖母が「ほーら、狐さんや狸さんがこんにちは、してくれてるよ? こっちもこんにちはしなくちゃね」と優しく手を振っていたのを、今でもよく覚えています。
余談ですが、新潟の田舎家で起こった不思議な話が、もう一つあります。
僕が小学三年生の夏休みのことです。祖母が真夜中、眼を覚ますと、隣で寝ていた僕の姿がなかったそうです。「怖がりでトイレにも一人でいけない孫が、何処へいってしまったのか」と慌てて探しに部屋を出た祖母は、すぐに僕を見つけました。床の間にある大きな仏壇の前に正座して、何やらぶつぶつ言っていたそうです。
僕自身は今も昔も、全く記憶にありません💦翌朝、祖母から聞いた話です。それでどうしたのか、と、祖母に聞いたところ、特に怖い感じもしなかったので、そっと見守っていたら、僕は勝手に布団に戻って、元通り眠ってしまった、とのことでした。
自分自身がオカルト体験の当事者になったのは、人生の中で、その一度きりです。ですが、間違いなく、それらの体験が、僕のホラー好きの一因になってしまったことは疑いようがありません。
生前に僕を護り続けてくれていた「祖母」ですが、亡くなった後も、不思議と後ろで彼女が見護ってくれているような感じがします。だから、悪いことはできないし、「祖母」から与えてもらった〈優しさ〉や〈愛情〉を、同じように苦しんでる人たちに分け与えてゆきたい、とするのが、今の私の生き甲斐です。
お目汚し失礼いたしました。
今後とも、ご指導・ご鞭撻の程、よろしくお願いいたします。