「母ひとり落ち葉の始末背を丸め」の批評
回答者 04422
こんばんは!
いくら拾っても落ちて来る落葉…。
お母様は知ってか知らずかただ、黙々と拾っています。
始末をしているのですから、くず入れはお持ちになされているのですね。
菊花様の優しさとお母様の日頃からの日課が目に浮かびます。
点数: 1
添削のお礼として、04422さんの俳句の感想を書いてください >>
作者 菊花 投稿日
回答者 04422
こんばんは!
いくら拾っても落ちて来る落葉…。
お母様は知ってか知らずかただ、黙々と拾っています。
始末をしているのですから、くず入れはお持ちになされているのですね。
菊花様の優しさとお母様の日頃からの日課が目に浮かびます。
点数: 1
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回答者 丼上秋葵
こんにちは。
菊花様を見習い、母に歩み寄ろうとした結果、第63次「言の葉戦争」を勃発させてしまった、おくらです…orz
何回結んだのかわからない、平和条約は締結しました。ご安心ください。
恐縮ながら、御句に感想を述べさせていただきます。
いなくなったお母様をすぐにお捜しにでかけるとは、本当に常に気にかけていらっしゃるのですね。先日は軽々しく羨ましいと発言してしまいましたが、大変なことも多いのだろうとお察しいたします。失礼いたしました。
御句は「背を丸め」た「母」がただ「落ち葉の始末」をしているだけの視覚的情景描写をありありと思い浮かべさせるだけであるのに、やはり、読み手にどこか〈寂しさ〉を感じさせる句であると思います。
〈寂しさ〉の根元は何に起因するのでしょうか。「秋」の「落ち葉」という季語自体が持つ力は勿論あると思うのですが、こんなにも温かな眼差しの詠み手が近くで見護ってくれてくれているのにもかかわらず、どこか「ひとり」の〈孤独感〉に「背を丸め」てしまう「母」の内情が滲み出てしまうからなのでは、と、私は考えました。
私も周囲の人間たちには恵まれている方だと自覚していますが、ふとした瞬間に、御句の「母」のような気持ちを抱えてしまうことがあり、申し訳なくなってしまいます。
これは「母」や私に限ったことでなく、人間皆がどこかに抱えている〈孤独感〉の発露ではないでしょうか?
返句は、そんなお母様の小さな言の葉も、優しく掬い取ってくださる詠み手の存在を、詠ませていただいたものです。
少しでもご参考になれば、幸いです。
点数: 1
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気がつくと母がいないので外に出てみたら、庭に落ちた柿の葉を黙々と掃除をしていました。ふと寂しさを覚えました。