「涅槃なす鈴鹿連峰眠りけり」の批評
回答者 負乗
「涅槃なす」と「眠りけり」で意味が重複している気がします。
あるいは、涅槃なのか、眠っているのかどっちなんだと。
お釈迦さまは、ブッダ(覚者)なので、眠らないと思います。
鈴鹿連峰は、しかし、詩にはなりますね。
点数: 0
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作者 久田しげき 投稿日
回答者 負乗
「涅槃なす」と「眠りけり」で意味が重複している気がします。
あるいは、涅槃なのか、眠っているのかどっちなんだと。
お釈迦さまは、ブッダ(覚者)なので、眠らないと思います。
鈴鹿連峰は、しかし、詩にはなりますね。
点数: 0
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回答者 篠原新治
「山眠る」の季語を派生させた点は面白い試みだと思うのですが、広く受け入れられるかどうかは、疑問です。
それから、「涅槃」は目に見えるものではなく、概念に近いような言葉だと思いますので、「なす」を連ねることが適切かどうか。
寝釈迦のようだ、と捉えたのでしょうか。ただ、そうなると、冬というよりは春のイメージに近くなってきます(涅槃図は春の季語)。季語自体も再考が必要かもしれません。
点数: 2
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鈴鹿の山も冬に入る。