児らの声のみ冴へわたる梨の園
回答者 丼上秋葵
はじめまして。おくらと申します。
恐縮ながら、御句に感想を述べさせていただきます。
詠み手にはお子様がいらっしゃらないのでしょうか?【本当は旬の「梨」狩を楽しみに来たはずなのに、親「子連れ」の、児の声が「冴へわたる」度に、子〈無し(梨)〉の自分が寂しき存在に感じられる】といった句意を読み取りました。
「冴ゆ」は三冬の季語で、季重なりになってしまいますが、舞台は「梨」が旬の秋にもかかわらず、【冬の寒さが一足先に早く訪れたような、身にこたえる〈寒さ〉〈淋しさ〉】を強調しているので、そのままでいいと思います。
「子連れらの声」としてしまうと、〈子連れ団体の大人たちも含めた〉声と受け取られてしまう可能性があるので、日野様が句意説明で仰られているように「児らの声」とした方がよいのではないでしょうか?
座五の字足らずは、詠み手の〈孤独感〉〈虚無感〉を強調するために、あえてなさったのかも知れませんが、「梨(なし)の園(その)」とした方が、句意的にも音的にも〈無し〉が強調されて、きれいかと思います。
以上を踏まえて、
◆児らの声のみ冴へわたる梨の園
としてみたのですが、いかがでしょうか?
私も子どもはおりません。育てられる程、立派な人間ではないからです。ただ、子どもという存在は好きなので、人様の子どもを可愛がることで、父性(母性?)を満たしています。さびしきかな。笑
少しでもご参考になれば、幸いです。
点数: 2
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秋の青空の下で、梨刈りをしている子連れ友だちの中に、児どもの声だけが冴えて聞こえて来るのを詠んでみました。