「お花見かパチンコ迷ふ日和かな」の批評
ゆとりろさん、こんばんは。貴句、拝読いたしました。
これは勿体無いですね。
折角の俗な「パチンコ」と煌びやかな「お花見」との取り合わせになっているのに、
季語
「お花見」(晩春・生活)が、句の主役になり切れておりません。
お花見とパチンコがどう見ても同格なのですよ。
何故なら、どちらに行こうか迷っているのですから。
それでいて、季語ではない「日和」が終助詞「かな」の詠嘆を受けておりますから、
「日和」(=天気や状況が穏やかで、何かをするのに適した日)が
句の主役に見えてしまいます。
お花見とパチンコが天秤に掛かっているという事は、
「桜が咲いている特別な天候である日(の頃、時間)」なのですから、
こういう時こそ、「時候の季語による季重なり」の出番。
以下、私めからの添削
提案です。具体的には、「日和」を時候の季語に変え、
季重なりの荒技に打って出ます。
A:お花見かパチンコ迷ふ桜時(「桜時」が晩春・時候の季語)
B:お花見かパチンコ迷ふ花の頃(「花の頃」が晩春・時候の季語)
こうなされば、作者コメントにお書きの「明日は好天気の予報、花見に行こうか
それともパチンコ~迷ってまう」が、時候の季語によってダメ押しされて、
「時候の季語が句の主役」に立ちます。
「お花見に行こうかパチンコに行こうか迷う程の、
この桜の季節(桜時、花の頃)である事よ」とする事で、
「めっちゃ桜が綺麗やけどパチンコ行きたい……迷う!」という、
人間臭い「矛盾のエネルギー」が句にパッキングされますよね。
「俳句
は季語が主役」なのですから、最初の季語が主役になり切れていないなら、
「句の主役を担ってくれる季語を追加する」という荒技もあります。
最後に、丁度2年間こちらにお世話になりました。
こちらでの本格的な活動は本日限りで終えて(以降たまに見る位)、俳句も含めて、
遅々としてるローファンタジーの執筆活動
(=今まで埋葬してきた狩り蜂達との約束)、就活もしないといけませんので、
添削に回せる時間が無くなります。
noteで俳句鑑賞記事は書く事もあると思いますので、お気が向きましたら
ご覧いただけますと幸いです。
以上でございます。お目通しいただき、感謝いたします。
添削のお礼として、みつかづさんの俳句の感想を書いてください >>
明日は好天気の予報、花見に行こうかそれともパチンコ、花見に行ったら絶対飲むし、飲んだら運転できへんし、迷ってまう。