「爪に艶宛名撫づるや春の宵」の批評
こんばんは。
◆三段切れになっています。
三段切れの原因はいろいろあるのですが、よくある原因のひとつに「要素多すぎ」というのがあります。
多すぎる要素を五七五の形に詰め込んだ結果、必要な助詞や接続形などを入れられずにブツブツブツと切れてしまうわけです。
◆その「要素多すぎ」の原因でよくあるのが、「思いついた要素を全部入れてしまう」ことです。コメントを見て気づきましたが、この句はそれに当てはまっていると思います。
で、使う語句を少し減らして整理するとして、整理の方針を考えたいところ。
◆この句の置かれている状況がわかりにくいと思いました。
作中主体自身が撫でていると解釈するなら、その人は自分の爪を艶めいていると思っているのでしょうか?とすると「あたし色っぽいでしょ」と主張する句となってしまい、作中主体がかなりナルシストに見えるような・・・
作中主体ではない別の人が撫でていると解釈するなら、「手紙の宛名を撫でている人を、爪が艶めくと思えるような近距離で見ている」という状況です。それ、どんな状況なんでしょうね?また、「撫でている人」と「作中主体」と「宛名の人間」の関係もはっきりしません。
他にも方法はあると思いますが、
たとえば、全部の要素を残して、コメントの句意を生かすなら、
「爪に艶」という語順が説明的であったり三段切れの原因になっているので、このあたりを調整します。
・春宵や宛名撫づれば艶めく爪 (下六字余り)
私的にはそもそも「自分の色気を表現するのに【艶】は、俳句
としては直接言い過ぎでは?」とか思ってしまいました。それは季語
「春宵」で理解してもらえばいいんじゃないかな?など。
・春宵や宛名を撫づる爪の先
あるいは、「撫づ」の動詞+「宛名」にそれらの要素を背負わせる方法も。
・あの人の宛名を撫づる春の宵
言いたいことを全部入れるのではなく、読者を信頼して、季語を信頼して、意味を託す、というのも検討してみてください(といって、すべて遠回しに言う連想ゲームにならないよう)。
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おつかれさまです!失礼します。春の穏やかで物憂げな時間に想い人の宛名をそっと撫でる。その宛名を撫でると艶めく爪に情緒と色気を込めて詠んでみました。心の機微を感じてもらえたら幸いです。よろしくお願い致します。失礼致します。