「頭垂れ雪折れに耐え実南天」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
季重なりは句の作り方次第なので、是非は保留しますね。
◆問題と思ったのは「枝は折れているのか、折れていないのか」という映像がわからないことでした。
「雪折れ」は雪で枝が折れること。この単語を使った時点では折れています。
ところが「頭垂れ~耐え」と言っているので折れていないのではないか?という可能性が頭をよぎります。
折れていないなら「雪折れ」ではないので、折れていると思うのですが・・・
◆「雪折れ」と言う単語を使いつつ「実南天」を主役にした問題もあるように感じました。
雪が降ったのはいつ(今日、前夜、それより前)?
枝が折れたのはいつ(たった今、今日、前夜、それより前)?
それに気づいたのはいつ(同上)?
いま積もった雪が目の前にあるのかないのか?
という主役の「実南天」とあまり関係ない情報が気になってしまいました。
たとえば、風景を理解させるのが優先ならば
・雪折れをせずに耐へたる実南天 (折れずに耐えている)
・雪折れをせずに垂れたる実南天 (〃)
・雪折れをしてなほきれい実南天 (折れている)
説明っぽくはなりますが、こういう感じですかね。
風景の説明だけでは詩が出しにくいので、さらに「実南天」の映像をしっかり出したくなりました。
・実南天雪折れをしてなほ赤し
点数: 1
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季重なりだとは思いますが、正月の信州の朝の様子です。