「冬眠の飼い蛇を背にあゝ早出」の批評
回答者 慈雨
晩乃さま、こんばんは。
ご質問の件、遅くなってごめんなさい。
とは言え私は「長くご経験」どころか、まだ句歴2年ちょっと。正しい解説としてではなく、初学者の現時点の一意見としてお読みください(超長文です…)。
〇「時代の統一性」について。
これは少なくとも私は全く考えていません。現代の出来事を文語で表現することは特に問題ないと思っています。
たとえば即吟ですが「寒き夜のスマホしづかに光りけり」みたいな句もアリだと思います。むしろスマホという現代のアイテムと文語・歴史的仮名遣いのギャップが楽しめるかと。
〇「俳句では文法の厳密さよりも詩的な調べの良さが優先される」という晩乃さまの仮説について。
そういう面もあるとは思います。ただし「文法なんてどうでもいい」ということではないですし、基本的には俳句でも正しい文法を使うべきと思います。
【ひきがえるありとあらゆらない君だ/福田若之】
→「ありとあらゆる」を、あたかもラ行五段活用のように活用した一句。もちろん文法としては誤用ですが、敢えてその誤用を楽しむ句なので、私はアリだと思います。
【行く春を近江の人と惜しみける/松尾芭蕉】
→終止形「けり」ではなく連体形「ける」で終わっている、いわゆる連体終止。俳句でよく使われる型です。
連体形なのに続く体言がないので、文法的には微妙ですが、句末の後に「ことよ」が省略されているという考え方です。理は通っていると思いますし、私も使います。終止形ならビシッと締まりのある印象、連体形なら余韻が出る印象ですね。
【春の山屍(かばね)を埋めて空しかり/高浜虚子】
→形容詞の連用形「かり」を句末に置く形で、これも俳句では時々見られます。文法的には怪しく、本来は「空しかりけり」等とする必要があります。
それだと冗長になってしまうので短縮しているわけですが、これは賛否あるようで、私もスッキリしないので少なくとも自分では使いません。
〇ということで、私は意図的に(必然性があって)文法を崩す分にはアリだと思いますが、そういう例外を除けば正確な文法を使うべきと思っています。
「型破り」はあくまで型を身に着けた上で成立するもの。最初から型を無視した「型知らず」とは違うーーと誰かが言っていました。これは文法に限らず、破調・自由律・無季語など異色の俳句にも言えることだと思っています。やはり基本となる有季定型の魅力を知ってこそ破調も楽しめると思っています。
〇私が言葉選びに優先することについて。
文法については前述のとおりで、意図があればわざと崩すことはあります。
あとは文語か口語か、歴史的仮名遣いか現代仮名遣いか、といった選択はいつも考えています(けっこう口語調の句も多く詠んでいるつもりです)。
たとえば私の投稿句「雲あれば雲映したる冬の水」は文語調ですが、口語調にすると「冬の水雲がそのまま映ってる」みたいな感じです。大体いつも両パターンを考えて、どっちが句の雰囲気に合うかと考えます。しみじみとした感慨を詠みたいなら文語調、思わず口に出たような自然な言葉を描写したいなら口語調。
あとは漢字か平仮名かとか、その辺も読者が見た時の印象を左右するので一応気にしています。
〇究極的には、俳句も詩歌ですので人に感動を与えるためのものだと思います。
要は多くの人が「いい俳句だなぁ、感動するなぁ」と思ってくれれば良いわけで、最後はそれに基づく判断かと。
少し違う話ですが、
【文節のやうに/アスパラガスを/切る(大阪・葉村直さま)】
→記号「/」を用いた俳句。縦書きにすると、まるでアスパラガスを切断した画のように見えるという…そんなのアリかー!?と思いますが、NHK俳句で特選をとっています(もちろん嫌う選者もいると思いますが)。
俳句はどこまでも自由だと思います。型を知り、時にそれを破りつつ楽しんでいきましょう☆
〇ちなみにこのサイトはプロの俳人や先生のいない、アマチュア同士の交流の場ですので、添削にもある程度ミスがあるのは当然です。
コメントをもらう側も、言われたことを鵜呑みにせず自分で勉強する姿勢も必要だと思います。
晩乃さまもあまりご自身のコメントが間違っていたとかを必要以上に気に病まなくていいと思います。それを言ったら私などもう出禁にされても文句言えないくらい不正確なコメントをくり返しておりますので…。。
めちゃくちゃ長くなって、答えになっているかもわかりませんが、よろしくお願いします。
(ちなみにこういう解説はイサク様が抜群に上手いので、出来れば修正・補足してほしい…)
点数: 3
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過去作の推敲です。今朝もとぐろを巻いて可愛く寝ており、仕事に行きたくなくなりました。