「来世は枯葉でよしと夢うつつ」の批評
回答者 慈雨
再訪です。
言葉足らずでしたかね…ごめんなさい。枯葉が冬の季語として歳時記
に掲載されているのは知っています。
そういうことではなく、この句での枯葉が「来世は枯葉でいいや」と頭の中で想像している(つまり実際には枯葉は目の前にない)ように見えてしまうため、季節感に乏しく、季語としての力が弱いーーという意味です。
(コメントによると実際に枯葉を見ているようですが、句だけではそう読めなかったので)
たとえば「絵に描いた桜」や「紅葉の写真」「雪のように白い肌」なども、季節に関係なく存在するため季語としての力は弱くなります。それと同じような感じです。
点数: 1
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今度生まれ変わったら何になるのだろうか。また同じ自分でもいいし、犬でも猫でもいい。ひょっとして今見ている枯葉なのかも。でもそんな事どうでもいい。それはそれでまたいいのかも。