「和歌の浦に召したる句碑や秋夕焼」の批評
再訪です。
返信ありがとうございました。返信の中で言及のなかった点については納得していただけた、という理解でいいのでしょうか。
コメントを拝見し、率直に、イサク様が言っていたことを理解されていないように思いました。
イサク様(や私)が言及しているのは「荒らし行為」についてです。荒らしについて原因は関係ない(別次元の問題である)、と言っているのです。
それに対してみつかづ様が「イサクさんの仰る事は尤もでございます」とコメントされていました。納得されたのですよね?イサク様のコメントと同じ気持ちを持っているのですよね?
ならば関係ない原因の話をここで持ち出すべきではない(別の場所でやるべき)ということも理解されているはずです。
したがって、もしみつかづ様が、頓様の発言に何か問題があると考えるのなら、それは和歌女様の荒らしとは完全に切り離して論じるべきです。
それを「頓さんのご配慮不足のコメントがとうとう、和歌女さんのお怒りに火を着けてしまいました」などと書くから、問題が混乱するのだと私は思います。これではどう見ても「原因を作った頓さんが悪い」と受け取られると思います。
実際、「責任を分かち合う」と言いながら、頓様は徹底的に批判して謝罪を求め、和歌女様には「どうか、お怒りをお鎮めいただければ幸いに存じます」とまるで神への懇願のようなコメント。かなりアンバランスに感じました。和歌女様に対して、いかなる「責任」を求めたのでしょうか?
ちなみにですが、そもそも私は「火をつけた側が頓さんである」という前提には立っていません。なのでその前提条件で「頓さんの責任を無視し~」などと話を進めるのはミスリードになりますので、ご注意ください。
そもそもこの点についても、前述のとおり私がコメントしているのはあくまで荒らし行為であり、その原因は全く別の話なので、ここで議論するつもりはありません。
「言葉の責任」については、もう価値観の違いとしか言えないかもしれませんが、「責任」という言葉を使うからには「それを行わなかったのなら責められるべき」というニュアンスだと思います。俳人は世の中のあらゆる出来事に言及し、句を詠まなければ責められる存在なのでしょうか?
先ほども書いた通り、ならばこの道場のメンバー全員に「あなたは俳人として責任を果たしていない」とコメントされてはいかがでしょうか。
また、度々「私の努力で荒らしが止まった」ということを仰っていますが、和歌女様がそう言っていたのですか?
たとえば夜勤に出かけ中断しているだけとか、就寝したとか、体調が悪いとか、そういう可能性はないのでしょうか。あまりに断定的に書かれているので気になりました。あるいは和歌女様と個人的につながりがあるのですか?
で、別に私はみつかづ様と議論したいわけではないのです。
みつかづ様が「イサクさんの仰る事は尤もでございます」と言いながら「荒らし」と「その原因」を同時に議論しようとしていることや、返信がどうとか全く関係ない話を持ち出していることを「私は」おかしいと思ったよ、とお伝えしたかっただけなのです。
このコメントにも納得いかないのであれば、これ以上労力を割いて意見を一致させる意味も特に感じませんので、一応、これで最後にするつもりです。ちょっと個人的に大事な時期なのですが、このコメントのために睡眠時間が2時間減りましたし、おそらく返信をくり返しても、他の方が読むのも疲れるでしょうから。
よろしくお願いします。
添削のお礼として、慈雨さんの俳句の感想を書いてください >>
ダブル含意です。松尾芭蕉の「五月雨の降り残してや光堂」の助詞「や」の
用法を拝借いたしました。よって詠嘆・強調・呼び掛けではございません。
句意
① (和歌山県の)和歌の浦にやって来たが、(松尾芭蕉の)句碑が私めを
お招きになったのであろうか?(私めを招く句碑とは、果たして芭蕉翁の
御心であろうか?) それにしても、(太平洋、瀬戸内海と共に見える)
実に綺麗で雄大な、しかし物悲しい秋の夕焼けである事よ。
② 和歌女さん。あなたの新作句に是非とも私をお呼びくださいませ。
秋の夕焼けの様に燃え、それでも憂いを帯びた句をまた、
味わいたいと存じ奉ります。どうか、お怒りをお鎮めいただければ幸いに存じます。