「芋煮会犬のリードの忙しなく」の批評
回答者 みつかづ
こんにちは。貴句、拝読しました。長文、お含みおきください。
場面の取り合わせが面白く、秋の賑わいの中での犬の動きを
よく捉えておられると感じました。
ただ、2回目の助詞「の」が句全体の焦点を「リード」に固定してしまい、
結果として季語「芋煮会」が背景に退いて見える印象を受けました。
もし季語を中心に据えたい場合は、次の様な改案も考えられるかと存じます。
たった1文字、助詞を変えるだけでございます。
・芋煮会犬のリードも忙しなく
「も」は包含の助詞であり、場の全体性を生み出します。
即ち、芋煮会という人の集う場に、犬もその一員として動いている、
その様な共感的広がりを句に与える働きになります。
「芋煮会」という季語の明るさ・温度感を自然に立たせる助詞です。
句が「場」を描く写生から、「季節の情景」へと昇華するのではないでしょうか。
次に拙句、「琵琶のうみ背に比良山の金風よ」にコメント、ありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/32215
お書きいただきました「琵琶のうみ比良をくだりて金風よ」についてですが、
せっかくのご精査、ご意見を賜りながら大変恐縮できございますが、
今回は採用を見送らせていただき、「表現方法の勉強」に
留めさせていただきました。
理由は1点。
句が果たしていた「返礼としての機能」を失ってしまうためです。
拙句「琵琶のうみ背に比良山の金風よ」は単なる実体験の風景詠みではなく、
添削してくださいました比良山さんへの感謝と尊敬を込めた返礼句でもありました。
作者コメント②にその旨を書いております。
したがいまして、「比良山」という表現は地名であると同時に、
お相手のお名前として句の核にあります。
ここを「比良」と省略してしまいますと、
句の主題が比良山さんから比良地方へと転化してしまい、
返礼としての文脈が完全に断ち切られてしまいます。
また、「くだりて」との動詞の導入により、
静的な感謝と決意の情が軽く流れてしまい、
名詞句のみで構成した原句の凝縮した祈りの調べが崩れてしまいます。
以上の理由から、今回はあくまで原句のまま、「比良山」及び「背に」の
象徴性を保持する形を選ばせていただきました。
拙句の原句:夢のまた夢か遥かな芋煮会
比良山さん添削:夢のまた夢はるかなる芋煮会
中句切れと上五を保ったまま、形容動詞の連体形「はるかなる」を用いて
添削なさる事で、原句が抱えていた問題の心理的距離を物理的距離に変換して解決、
前半と後半の流れを滑らかになさり、季語「芋煮会」を輝かせました。
この変換により句が具体的情景を獲得し、読者の想像の足場が一気に広がる。
しかも、「夢のまた夢」という抽象表現を残しているため詩情は失われず、
寧ろ増幅されております。
比良山さんの拙句への添削は「芋煮会」という「現実の風景」と、
作者である私めの「手の届かぬ理想」を重ねていらっしゃるのです。
文法的な正確さと、情感の柔らかさが同居している。
ここが「感動詞・形容詞・形容動詞を扱える人の真骨頂」であり、
私もその境地に達したいのです。
俳句において感動詞・形容詞・形容動詞を使わない方が破綻しにくい事は
以下の理由で独楽さんもご存知の事と思います。
1:音数を多く取る(「はるかなり」だけで5音!)ため、
17音の中で他の要素を圧迫する。
2:抽象度が高く、説明的になり易い。写生の命である“余白”を損なう危険がある。
3:使い方を誤ると、「詩的感動の押し売り」になってしまう。
比良山さは、それらを全てご理解なさった上で、拙句が元々持っていた
「切ない願望」という内的情感をお見抜き、そこに形容動詞「はるかなり」
を滑らかに接続させている。ワザとのひらがな表記で切なさもお残しです。
私めが、この比良山さんの添削に感銘を受けない訳がありません。
難しい添削をサラッとこなし、添削の範囲に収まっているのですから。
俳句は、単なる技巧ではなく、人と人との心の往還でもあると
私めは考えております。
今後とも互いに敬意を以て、句を通じた交流を重ねて参りたく存じます。
以上です。お目通しいただき、感謝いたします。
点数: 1
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犬の情景に託しました。