「蜻蛉ゆくせつない程に初秋なり」の批評
回答者 みつかづ
こんばんは。再来、失礼いたします。
句の字面と作者コメントを拝見し、句を構造分析して「句で作者が最も読者に
伝えたいメッセージは何だろう?」を慎重に考えますと、添削ですからね。
句の字面の意味と、作者コメントに書いてある句意の乖離の幅の大きさの精査が先に
必要な事でして、様々なメッセージ性の可能性を理解して乖離を埋める為に
足りていない言葉だけを「添」え、多過ぎる言葉は「削」る。
その際、作者に心を寄り「添」え、改めたい我欲は「削」ぐ。
こうしないと改作、悪いと改悪になってしまいますので。
元が季重なりでしたので、季重なりのままメインメッセージの過不足の
無い表現を私なりに考えてみました。
このサイトの皆さんは季重なりを避ける方が多数派でしょうけど、
どちらかというと私は寛容派です。江戸~大正時代等に名句がございますので。
・菜の花や月は東に日は西に(与謝蕪村。季違い)
・目には青葉山ほととぎす初鰹(山口素堂。季語3つの季重なり、且つ三段切れ)
・打水や萩より落ちし子かまきり(高野素十。季語3つの季重なり、且つ季違い)
季重なり、季違い(四季のうち、別の季節での季語の季重なり)において、
季語の働きを飲み物に例えますと、以下でしょうか。
・季語Aが牛乳、季語Bが紅茶
→重ねて飲むとミルクティになって美味しいので、問題無い。
・季語Aがミックスジュース、季語Bがブラックコーヒー
→重ねて飲むとめちゃくちゃ不味いゲテモノ味なので良くない。
・季語Aがミネラルウォーター、季語Bが水道水
→重ねて飲む意味が無いので、そもそも季重なり・季違いにする必要性が無い。
以上の様なザックリとした判断基準があります。ご参考までに。
次に、拙句「西瓜食ふ単位は玉のアジャコング」にコメント、
ありがとうございます。
https://weblike-tennsaku.ssl-lolipop.jp/haiku/corrections/view/31699
幾らアジャさんでも皮までは召し上がらないでしょうから流石に包丁で
切ってはいるでしょうけど、それでも一玉単位で西瓜を召し上がるという事で、
「プロレスラーは豪快だなあ」との思いで詠んでみました。
私なら二切れでお腹いっぱいです。
白桃、美味しいですよね。これからは私が大好きな白桃、和梨、芋、オクラ、
柿、栗、秋刀魚などなどが楽しみな季節です。
体調が良ければ、それらで何等か詠んでみようと考えております。
(秋の食欲をまとめると、「秋渇き」の季語一言で済んでしまいますが(笑))
以上です。ご覧いただきありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。
点数: 1
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空が少しづつ高くなり、蜻蛉も高いところを飛び、稲穂が揺れる。胸がキュッとなる感じを覚える。秋は私にとってそんな季節。誰もが皆、そう感じるのだろうか。