「春風や金曜疲れ拭い去り」の批評
回答者 イサク
おはようございます。はじめまして。
小学生さんですね。よろしくお願いします。
まず衷心(衷心の意味は調べてください)より、先に伝えなければならないことがあります。
◆句のアイデアは元の句の作者のものです。これは俳句に限らず、短歌・川柳・詩や小説などの文芸、コミックやアニメ、絵画や彫刻、その他創作物で、すべてそうです。
他の方の句のアイデアを使った句、は吉岡勇人さんの句とは言えません。
この「他の句のアイデアを、自分の署名で添削希望として出す」というやりかたでは、コメントをしっかり読まなければ「盗作か?!」と疑われるまであります。
今回は元の句がこのサイトで発表された句ですし、コメントにも明記してあるので、大きな問題にはならないと思いますが、元の句の作者が気を悪くした場合、問題に発展する場合もあります。今後ご注意ください。
(元の句の作者の同意があれば、「共同作品」とすることはできますが、今回は同意をもらわぬままですよね?)
で、今回は元の句との比較となってしまいますね。
俳句としてはヒッチ俳句様の元句「春の風頬をなでゆく金曜日」の方に軍配を上げます。
◆「春風や金曜疲れ拭い去り」という句になりました。
【詩】というより【説明文】となってしまって、理屈っぽい句になってしまったと感じています。
金曜だから疲れている、春風が疲れを拭い去る、という「作者の主張」である「理由・説明・結果」を全て句の中に書いてしまっていて、ただ「作者の主張がわかりやすい文章になりました」という感じです。
元の句より風景も減ってしまって、「俳句十七音から想像する」という読者側の楽しみがありません。
元の句は「春の風」という季語の持つ力(本意・喚起力)を信じて、読者の読み取る力を信じて、「頬をなでゆく」という事実・風景の表現にとどめています。読者はこの事実を読み取ることから始めて、「優しい風が通り過ぎて行ったのだろう」など想像を膨らませていくことになります。
俳句は連想ゲームではないので「ただ遠回しな表現」は嫌います。が、想像の余地がない「句の中に答えがある」という句は、基本的に面白みが減ります。
以上です。元句が他の方の句なので、この句の添削は控えます。
またよろしくお願いします。
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小6です。
ヒッチ俳句さんの 「春の風頬をなでゆく金曜日」を添削したものです。
いい句になったと思うので評価・添削をしてください。