「恋猫がコンビニの灯に逃避せり」の批評
回答者 イサク
おはようございます。
描写が足りず、作者の中での理屈が先んじている句、だと思いました。
◆恋猫の一物句なのですが、「一物を描写」ではなく「猫の気持ちを勝手に想像した」句ですので、俳句としてはなかなか厳しいことになっていると思われます。
◆季語「恋猫」をポンと置くだけでは、受け取り手は「恋に疲れた猫」という意味で受け取れないのでは・・季語の本意は「発情期の猫」で、そのままでは疲れてませんよね?
コメントの意味で受け取り手にとらせるには、恋猫が「疲れている」という描写が必要なのでは。
◆擬人化の是非があります。
この句の「逃避」は、コメントによれば擬人化された「逃避行動」的な意味で使われていますが、【猫】という動物に「逃避せり」とポンと置いただけでは「逃げた」という描写にしかならないのでは・・・と思います。
◆「恋に疲れた猫」だから「逃避した」という理屈がある句です。
「恋に疲れた猫」の描写がないところに「恋猫の逃避」という意味が来るので「雌の取り合いのケンカに負けて逃げてきた」くらいなら辛うじて想像できますが、「休んでいる」という意味にはとれませんでした。
◆原案「コンビニの灯に憩ひけり猫の恋」
こちらの句は「人間が(作者が)コンビニの灯りに休憩した/そのとき、猫の発情期の声が聞こえた(あるいは、発情した猫が目の前を通り過ぎた)」という取り合わせで観賞が成立する句です。
その誤読を回避するために掲句では上五「恋猫が」としたのだと推測しますが、一物は難しく・・・
季語を説明する形の句、というのは難しいものだと思います。
描写ではなく「作者の想像」である【憩い】【逃避】を俳句のメインテーマにするなら、受け手を信頼して他の要素を一気に省略したいところです。
・コンビニに癒されをるか恋の猫
点数: 2
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恋に疲れた猫は、コンビニの灯にしばしの憩ひを求めるように見えました。
逃避せりは、表現ですがやや抽象的なため、そこが悩みですが、感想お聞かせ下さい。
原案は、
「コンビニの灯に憩ひけり猫の恋」