冬嶺の眼下を分かつ大河かな
作者 頓 投稿日
コメント(俳句の意味。悩みどころ)
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「冬嶺の眼下を分かつ大河かな」の批評
回答者 ヒッチ俳句
こんにちは。
精力的に勉強されておられますね。
前の句とも合わせて読ませて頂きました。
先ず前の句ですが、
確かに、独立した季語としては
「冬の峰」は見当たりませんね。だからといってこの句が、無季語もしくは、何か間違っているかとはなりません。
ちゃんと「冬」と言う季語の句となっています。
ただ、作者の思いとしては、
季語「冬の山」にあるのかなと思います。
だから、あらちゃん様は「冬の山」の子季語である「冬嶺」を斡旋されたのだと思います。
そこで「冬嶺」の句とされたのですが、
そもそも前の句とも、冬の山の描写が何もありません。
「大河」のみが強調された句のようです。
このままでは上5の季語を変えた意味がありません。
例えばですが、
登り見て大河のみなもと冬の山
とかであれば、作者が冬山に登り眼下を見下ろしている景となり、季語が少しは活きるかなあと思います。ただ、山だから登るのは当たり前とのツッコミはありそうですが、、、
色いろ試してみて下さい。
またよろしくお願い致します。
点数: 1
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「冬嶺の眼下を分かつ大河かな」の批評
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回答者 ヒッチ俳句
こんにちは。
再訪です。
問題点がいくつか重なっているようです。
作者の詠みたいのは、いづれにしても「山の峰(頂上)から見下ろす眼下の景色」ですよね。
大河が眼下の景色を二分していると言う壮大さを詠みたいのは分かります。
ただ、その事と「冬」もしくは「冬の峰」との関係性が分かりません。別の季節に同じ眼下を見る景色と何か違うのですか?
違うのであれば、その事を言わないと読手には分かりませんね。「冬だからこそ」と言うものがないと、春でも夏でも
大河が二分していることには変わりないと思います。
また、その景色をどう表現するかによって季語は何が適当なのかが決まりますね。
「冬」なのか、または「冬嶺」がよいのか、あるいは全く違う季語が良いかも知れないですよね。
また「眼下」と言う言葉を使えば、作者がかなり高いところにいることを意味しますね。そうすれば頂上を意味する「峰」とか「嶺」は不要になるかも知れないですよね。
ですから、景色を表現する措辞によって当然季語を何にするかが変わります。
例えば、
黒線が眼下を分かつ冬の山
と詠んだとします。
読手は黒線って?
となりますが、
山の頂上から見れば、河は黒い線のように見えますよね、また眼下ですから頂上にいることも想像出来ますよね。
また、「黒」からもしかしたら眼下は白銀の世界かも、と想像が膨らむかも知れません。季語が「冬の山」だから。
なんか纏まりのない解りにくいコメントになってしまいましたが、季語を選ぶに当たり参考になりますでしょうか?
何の参考にもならない場合は、
すみません、ご放念下さい。
よろしくお願い致します。
点数: 1
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「冬嶺の眼下を分かつ大河かな」の批評
回答者 あらちゃん
頓様こんばんは。
頓様は私に無礼なことはしておりませんよ。
ご安心下さい。
ある日違う結社の方と相席になったことがありまして、たまたまそれを詠んでみました。
いつもご丁寧なコメントに感謝しております。
今後ともよろしくお願いいたします。
点数: 1
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「冬嶺の眼下を分かつ大河かな」の批評
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「冬の峰」は、推敲不足でした。「冬嶺」が正しい季語であることを、ご指摘頂きましたので読み直しを致しました。申し訳ございません。