「発光の勾玉となる梨一片」の批評
回答者 こま爺
おはようございます。
さっそくですが、古語の「にほひ」を使うと印象が柔らかくなります。にほひは見た目の美しさを表します。
「かほり」も入れたいところですが「にほひ」とダブル印象も強いのでそれは止めて、その代わり場所の情景を加え臨場感を持たせてはと思います。
*厨房の梨一片のにほひかな
点数: 0
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作者 辻 基倫子 投稿日
回答者 こま爺
おはようございます。
さっそくですが、古語の「にほひ」を使うと印象が柔らかくなります。にほひは見た目の美しさを表します。
「かほり」も入れたいところですが「にほひ」とダブル印象も強いのでそれは止めて、その代わり場所の情景を加え臨場感を持たせてはと思います。
*厨房の梨一片のにほひかな
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回答者 めい
辻さま。
御句拝読いたしました。
初読、バランスが悪いのではないかな?と思いました。
発光の勾玉vs梨一片
勾玉は、太陽と月をあらわしています。
梨が主役であるはずなのに、負けてしまっているんじゃないでしょうか?
形と色がそれっぽいというだけのことじゃないのでしょうか?
これは、あくまでも個人の感想ですので、御句を絶賛されるかたもいらっしゃると思います。
対比は、さすがにうまいなあと思います。
思ったことを言ってすみません。🙏🙇♀️
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回答者 素因数分解
はじめまして、お世話になります。
御句ですが、比喩を用いた一物仕立ての句と読みました。勾玉と切った梨の形、「言われてみれば似ている」と気付かされました。読者の想像を掻き立てる、面白い句だと思います。
ただご自身でもお感じになられているようですが、少し言葉選びに苦労されている印象です。辻様の表現したい内容を踏まえた上で、言葉だけ変えてみます。
まず上五の「発光」ですが、勾玉が自ら発光することはないので、これは光沢ということでしょうか? また中七の「となる」も少し分かりづらいので、違う言葉にします。
・勾玉の光沢の色梨一片
こうしますと、読者はまず「光沢のある勾玉」の映像を思い浮かべます。しかし直後に「の色」とあるので、それが勾玉ではないことを知ります。それは一体なんだと考えた時、下五でその正体が「梨一片」だということに気付くわけです。
これがおそらく、辻様の描きたかった映像だと思うのですが、いかがでしょうか。
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前作にコメントを頂きましたので、それをふまえて推敲してみました。今度は「勾玉」の曲線と、「梨一片」のカクカクした感じが合わないでしょうか。さらに、一句に切れがないので理屈っぽい句になってしまったでしょうか。
やっぱり梨は難しいですね!