「皮を剥く巧さも味の栗ご飯」の批評
回答者 イサク
こんにちは。
この句は前半で「季語を説明する」ということをやっていますが、季語を説明して良い句を作るのはなかなか難しく、「失敗しやすいから気をつけた方がいい」とよく言われます。
御句の場合、
上五中七が「皮を剝く上手さが味に影響する」という自信の感想・説明なので、季語は他のものでもあてはまってしまうのです。
例「皮を剥く巧さも味の林檎かな」
このような内容ではせっかくの「栗ご飯」があまり生きてこない、というのは理解できるでしょうか。
俳句の場合、季語を説明するのではなく、季語から離れたことを詠むことで、意外性やオリジナリティや詩を出す、というのはテクニックではあります(これを、季語から遠い、季語に近い、などと表現することもあります)
たとえば
・皮を剝く母の手に傷栗ご飯
手に傷をつけながら皮を剝いたお母さんを見ていたら、栗ご飯が美味しくなったような気がした。という雰囲気です。
例えばであって正解はありませんので、いろいろ試してみてください。
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綺麗に剥いてある栗が出てくると旨さがます、そんな気持ちを詠みました。