「爆死をば過ぎるようなり秋の雷」の批評
不尽さん、こんにちは。
私はこの、雷の、音と光が一緒に落ちてきたという一連の句は、あまり集中して追いかけていませんでしたので、もしかしたら的外れなことを申し上げるかもしれませんがどうかご容赦ください。
なんだか、すごく特別な体験をしたようで、そのことをなんとかわかってもらおうとしていらっしゃいますね。
それに対してコメントしてくださるメンバーに、ことごとく「わかってもらえませんなぁ…」と嘆いて、またなんとかしようと投句を重ねていらっしゃるような気がします。
肝心なことは、なぜなかなかわかってもらえないのか?ということだと思います。
それはおそらく、不尽さんが非常に稀有な、他の人にはわからない体験をしたからだと思います。
それは例えば、私は一旦死んで生き返りました、とか言われてもコメントに困るのと同じことではと思います。共感のしようがありません。
俳句は、何も、共感ばかりが価値ではなく、作者ただ一人の珍しい体験を詠むのもありですよ。
ただそれを「いいな」「面白いなぁ」と思っていただくには、読み手は全く経験がないわけですから、それなりの技量が求められると思います。
厳しい言い方のようですが、稀有な体験をわかってもらおうとするのはちょっとひと段落させて、四季の移ろいを詠んでみてはいかがでしょうか?
よろしくお願いします。
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背景は、これまで、申し上げたとおりであります。前句は、一瞬、に込めたつもりでしたが、単なる雷、と切り捨てられました。よって、今回の句は、激烈にして真なる表現で、作句し、掲句致しました。どうでも良い、そんなことでありましょうが、かような経験、皆様、ございましょうや?