「鱗雲釣果を願う釣り人や」の批評
回答者 なお
不尽さん、こんにちは。
御句拝読しました。
不尽さんは釣りをせずに俳句を考えているのであれば、釣り人の心まで考えずに、ご自身のことをお詠みになってはいかがですか?
また、最後の「や」ですが、どういうお気持ちでしょうか?
切れ字の「や」は、句の中に置かれて、感動やひと区切り、あるいは場面転換の役目をします。ですので、最後に置かれることは普通はないのです。
御句、読み進めていくと、上五季語の「鰯雲」がどこかに飛んでしまって、「あれ?季語は、なんだったっけ?」となるような気がします。
・釣り人の脇で俳句をいわし雲
こういうことではないかと思いました。
これが完成形とかではなく、こういう感じではないかということです。
よろしくお願いします。
点数: 2
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日課の山麓・山裾通い…少し上がれば、正に芭蕉大御所様の古池があり、その小さくも正に古池に、週末には、車が連なる程の釣り人が来られます(どんな魚が釣れるか、主なる鯉を求めてかは分かりません)。愚生は、独り、孤高の?花鳥風月…。
見上げれば、青き空に鱗雲…釣り人の幾人かは、そのような方がおられるのでは(想像の逝きです)との思いで、詠みました。
駄作、ご指導、宜しくお願い致します。