「秋の日や大きくなったなあ君は」の批評
回答者 めい
宙也さま。実際の俳句には、作者のコメントは、ありません。なおさら、正しく解釈するのは、難しくなるでしょう。
しかし、なおじいさまのような俳句の神もいます。
なおじいさまについていけば、間違いないですよ。✌️
どうか安心して😍、自由に俳句を楽しんで下さいね。😊
👌
点数: 1
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作者 宙也 投稿日
回答者 めい
宙也さま。実際の俳句には、作者のコメントは、ありません。なおさら、正しく解釈するのは、難しくなるでしょう。
しかし、なおじいさまのような俳句の神もいます。
なおじいさまについていけば、間違いないですよ。✌️
どうか安心して😍、自由に俳句を楽しんで下さいね。😊
👌
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回答者 なお
宙也さん、再訪です。
もしかしたら読みが違ったかもしれません。
コメントは、自分は人生の暮れる頃だが、君(息子とか、親戚の子とか)は立派に成長してくれたなぁ、という意味ですか?
コメントの後半は、誰がという示唆がないので、勝手に、何か変だなと思いながら、前半に引きづられて立派になったのも自分かと思ってしまいました。
もし、この読みが正しいとしたら、先のコメントは撤回します。
失礼しました。
爽やかな秋の一日、何かの折に思ったのでしょう。「君」の成長を喜んで眼を細める作者の姿が浮かびます。
でもこのままでは悔しいので(笑)、
・秋の日や立派になったなぁ君は
を提案します!
点数: 1
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回答者 なお
宙也さん、こんにちは。
御句拝読しました。思い切り口語の俳句ですね。若々しい感じです!
ただ初読では、私は、秋のお彼岸とかに集まった席で、親戚の子に話しかけているような光景を思い浮かべました。なんと言っても、最後が「君」ですから。
そしてご自身のコメントを拝読して驚きました。なんと、ご自身のことだと。「秋の日」も、季節の秋というより、人生の終盤のような意味合いで置かれていると。
もしその通りにお伝えになるのでしたら、やはり、
・秋の日や大きくなつたなあ俺は
のほうが伝わるのではないでしょうか。というのは、俳句は一人称の文学ですので、基本的には作者=主人公です。その主人公が「君」と言っているなら「自分」ではないことが明白だからです。
また、「大きくなった」、というのは子どもに対してのように読めますので、句意からしますと、
・秋の日や白髪が増えたなあ俺は
・秋の日や老けたものだな吾輩も
とか。なんだか自分のことになってきました。
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回答者 竜虎
宙也様 こんにちは
お世話になります。
なおじい様のコメントに同意です。
君は他人となりますから、自分のことは吾と我でしょうか。
提案です。
80になる自分の気持ちを詠んでみました。
秋の日や鏡の顔をじっと見る
季語を秋の暮してもよいかな?
よろしくお願いいたします。
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回答者 独楽爺
初めまして。
会話の俳句もありですね。もう少しリズムを滑らかにするのはいかがでしょうか。
"秋の日や大きいね今幾つなの
今後ともよろしく。
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回答者 めい
宙也さま。
御句拝読いたしました。
初読、親戚の子に言ってるのかなと感じました。
本人のコメント読みますと、自分に言ってたんですね。
大きくなったという言い方は、出世とか、身長とか、人間としての器とか、いろいろありますがどれのことを言っているんでしょう?
●秋の日やずっちくなったなあ僕は😓
●秋の日や大きくなった吾の腹
●秋の日や大きな借金あるんです
失礼しました。🙇♀️🙏
点数: 0
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自分は人生の暮れる頃だが、立派に成長してくれたなあとふと思いました。