「流るるか平和の笛の広島忌」の批評
回答者 ヒッチ俳句
こんにちは。
先ず、どんな文面であれ返信を頂いたことには感謝申し上げます。
また、御句につきまして長々と解説もご苦労様でした。
「流るるか」で始まっていますので、(馬鹿な私でも)この句は人に何かを問い掛けている句であることは分かりました。
分かりましたが、正直その後は真剣には鑑賞しておりません。
「ありふれた句」と申し上げたのは、通り一辺倒の一読の感想です。
「平和」「笛」のありふれた言葉が並んだ字面と「広島忌」の関係性からそのようにコメントしました。
季語の捉え方については、
晩夏だろうが初秋だろうが、どうでもいい話です。私のコメントにも、「厳密に立秋を境界にする必要はないのでは」と書いたと思います。
さて話が戻りますが、
貴方は、「テメェら」などと言った人の俳句を まともに鑑賞して貰えるとお思いですか?!
今回の貴方の私への返信コメントには、そのことについては何の記述もありませんね。
私も気は短い方ですが、根には持ちません。
貴方は、ずいぶんと理論派ですね。知識も豊富です。
私など到底敵わないと思います。
なのに、「どうして自分の句は人に感動を与え共感をして貰えないのか?」と自問自答しているのではありませんか?
その答えは簡単です!
貴方の句はすべてが「理屈」です。俳句は理屈ではありません。また他人に問い掛けるのではなく、ご自分をもう一度見つめ直されては如何でしょうか。
不遇な思いでご苦労されているのは承知しておりますが、もう少し素直な気持ちで、ご自分の身の回りの「感動」を見付ける努力をされては如何でしょうか。今までとは違うものが見えるかも知れませんよ。
お身体だけは大切に。
「何をジジィが。笑止!」とされるのであれば、どうぞ読み流し下さい。
点数: 6
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句意∶(子供の頃に吹奏した)平和を願う子供達が吹奏するリコーダーは、(永遠に)流れるであろうか。
季語∶広島忌(晩夏)
初の忌日俳句。
立秋直前で、今日ならギリギリ晩夏の季語が使えますか。歳時記の分類によるでしょうけど、「長崎忌」はちゃんと秋の季語に分類されているんでしょうか?
忌日俳句は忌日となった人物や出来事と自分との接点を探すのが難しく、大変でした。
ただ、季語が句全体の内容に近過ぎる点が気掛かりです。
亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げます。
核兵器、無くなりますように。