「朝霜や子ら安かれと地蔵尊」の批評
回答者 イサク
こんばんは。はじめまして。
それなりの俳句経験者さんとお見受けします。
先の方のコメントに近しいですが、
◆道端の「地蔵菩薩」は子の安全や供養のために置かれているものが多く、俳句に「地蔵」が登場すれば「子ら安かれ」のお気持ちは伝わるでしょう。それでも敢えてそれを伝えたければ「子安地蔵」とするというのもありだと思います。
コメントの「見守る」を提案の句にお借りします。
・朝霜を見守りたるや地蔵尊
点数: 2
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日光の国道脇ににひっそりと祭られている子安地蔵を、秋の早朝、散歩中に見つけてお参りした時に読んだ句です。なんでも、鉄道事故で亡くなった子どもたちを供養する意味で現地に移されたという、悲しい由来があるようです。朝の霜がまるで子どもたちの生命のように、朝日に照らされて儚く消えて行くのをじっと見守っている、お地蔵様の慈悲のお姿に心を打たれました。