「塀こえて隣家へたわわ冬檸檬」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
実景だからこれでいい、という主張も可能であることを前提に。
御句、言いたいことはわかります。
例えば季語を「夏蜜柑」や「青林檎」「秋茄子」などに変えても句の意味がほとんど変わらず「隣家の先へ実った実」です。これは、季語が動く状態と言えるかと思います。
この句の場合、季語以外の部分「塀こえて隣家へたわわ」が季語の状況報告的説明であるため、その状況に当てはまるモノ(この句の場合、木に生る実)であればなんでも当てはまってしまうのが原因のひとつだと思います。
この状況を回避する方法はいろいろありますが、たとえば俳句には「季語を説明しない」「状況を説明しない」「季語と他の部分で、意味の近すぎないことを言う」などという技法があります。例えばそちらを。
・隣人と目の合う庭や冬檸檬
点数: 2
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庭檸檬を収穫しました。隣家との境界の塀の向こうに垂れた枝にはたわわなのにこちら側は少ないのです。越境分はお隣に差し上げました。