「すり減ったギターピックや秋深し」の批評
回答者 イサク
再訪です。
私は文語口語混在は意図や詩があればあまり気にしない方ですが
今回は気になりました。
で、なぜだろう???と自分でもなりまして、考えた理由として、
◆「上五季語+や」+【今日はうどんを食べました】のように切れの前後で文体が変わる場合
◆「遅れちゃうよと言いにけり」という主体が変わる形の場合
などは気にならないので、
御句では「ギターピックや」の部分に格調高い「や」があるので、ギターピックを直接修飾する「すり減った」が口語なのが違和感なのかな?と思ったという感じです。
(なお、「冬近し」とは切れていますし季語の単独使用ですので、そちらはたぶん影響なし)
演出する側の意図次第ですが、手法に絶対的な正解はないと思うので、ご自身でいろいろ考えてみて、何か気づきがあればぜひ言える範囲でご共有くださると幸いです。
点数: 1
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
最近になって中七の最後に「や」をつけるのが意外に難しいと気づきました。
この句は「だいぶギターピックがすり減ってきたな」「ギターの練習がんばったな」という感慨と「秋深し」という季語を合わせました。