「茄子を見て花鳥愛でる朝の路」の批評
回答者 イサク
再訪です。
厳しめですので、気に障るのであればブロック推奨いたします。
いちばん伝えたかったことが伝わってませんでした。いろいろな方が同じように言ってきたので理解していると思っていたので書きませんでしたが、私の説明不足だったようです。
◆【描写が散漫】で「季語の『茄子』を主役にせずに、茄子に関係のないもの(鳥・花・道)が並列されて、句の焦点が曖昧」
◆【自分の行動の報告】で「季語『茄子』が主役に立っておらず、自分の行動のひとかけらでしかない」
と、季語の「茄子」を大事にしていないという印象です。
これが最も、有季定型俳句として重要な弱点だと思います。
たとえば「愛でる」という単語が悪いわけではありません。詩になっていれば「愛でる」を使ってもかまいません。「愛でる」という行動は描写ではないですが事実(である前提)なので、詩になっていると思えば「良いと思います」とコメントしますし、報告的だと思えばそうコメントします。
私にいただいたコメントの句は、ちょっと残念でした。「○○がある」「○○がいる」「花咲く」など、報告的叙述のオンパレードでした。あれを「マシでしたか?」と聞かれても・・ご自身で冷静にご判断おねがいします。
十七音で収めるために、茄子(畑)・鳥(ハト)・花(知らない花)で例えば三句に分けます。
・毎朝の散歩の路や茄子畑
・鳩ひとつ飛ぶ茄子の実のむこうから
・名のわからぬ白い花咲く夏小径
点数: 2
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畑を見て花を見て鳥を見て、そして俳句を詠む。
私の朝の日課です。
花鳥=はなとり と読んでね。