「病床の母細き涅槃西風届く」の批評
回答者 イサク
こんばんは。はじめまして。
お気持ちはお察しいたします。
お気持ちを乗せた俳句は、周りの人間がとやかく言えるものでもないので、この句はこの句でお納めください。
で、
げばげば様がある程度言っているのですが、俳句というのは余計な説明を省いた方が詩の純度が高まっていくという傾向がありまして、多くを説明しすぎるのは良しとしないことが多いです。
なので、御句の場合は
① 「涅槃西風が届く」というフレーズを生かす。
この場合「細い」という説明を省略して、「病床の母」で句の受け取り手に想像してもらう。
② お母さまを見て「細い」と思った感慨を句の中心に据え、季語の「涅槃西風」を取り合わせる。
この場合「届く」という説明を省略し、風が室内に吹き込んでいることを句の受け手に想像してもらう。
どちらかが良いのではないかと思いました。
①の場合
・病床の母へ届くや涅槃西風
②の場合
・病床の母の手細し涅槃西風
点数: 2
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2月17日に母が亡くなりました。2月15日が「陰暦二月十五日」はお釈迦様の入滅の日で前後二日間に吹く風を涅槃西風ということを知り、この句を作ってみました。コロナ禍で面会できないときに病院に面会を勧められ伺ったときの母が、あまりにも痩せていて言葉が出なかったことを思い出します。その三日後、母は永眠しました。四十九日を機に俳句を始めましたが、俳句としてなりたっているのかさえわかりません。ご意見添削をお願い致します。