「放りたれば縒る綱露わ春の朝」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
この句はなかなかコメントが付きませんが、ちょっと意味がわからないのではないかと・・・
直接意味を取ると「(何かを)放り投げたら、縒る(縒っている?縒られている?)綱(つな)があらわ(になった)春の朝」ということなのですが、
◆何を投げたら綱が現れたのでしょうか?
文脈からは「綱」を投げたと想像するのですが、「放りたれば~露わ」なので、綱は「投げたら現われた(露わになった)」となっています。投げる前は、綱は【露わ】ではない=目の前にない、ということになります。
◆「縒る綱」とありますが、この書き方を普通に受け取ると「今縒っている綱」ということになります。ところがこの綱は、「放りたれば~露わ」になっているので、何かを放る前は【露わ】ではない、つまり目の前にはありません。
ということは、自分が縒っているわけではないということになります。
で、コメントが「朝の習慣」「自然の呼び声」でますますわからないのですが・・
もしかして「放る」は「まる」でしょうか?
そうするとやや下ネタ系の俳句となるのですが、「縒る綱」がやはり意味がわかりません。何かの隠喩だと思うのですが・・・
ということで、ちょっとわからないのでコメントもできにくい句でした。
点数: 1
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改めて。
朝の習慣です。
自然の呼び声(大)
よろしくお願いいたします。