「冬日の身細う雀の啄めり」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
まず、御句とは関係ないかもしれない知識の話です。
「寒雀」「ふくら雀」という季語が存在しておりまして、冬の羽毛に切り替わり空気を含んでふっくらとしている雀を指す季語です。
なので「冬の雀が痩せている」という句意は、この季語の逆を行くということになります。
で、御句。
コメントを見ていない段階では『自分の身が細く、見れば雀が何かを啄んでいる』という句意と受け取りました。
四八五ということは「ふゆひの みほそうすずめの ついばめり」と読んでほしいのですかね?ですが、まずそう読むこと自体が難しく。
◆「細う」は「細い」の連用形「細く」のウ音便です。連用形は用言(動詞・形容詞・形容動詞などの活用する単語)に繋がっていくので、「身の細い雀」という繋がりにはなっておりません。
なので「冬日の身細う」で一旦連用形の形で切れて(主語がない場合は自分を表すことが多いので、この「細う」は自分)、あらためて「雀の啄めり」の取り合わせであると読んでおりました。
やはり連体形で「身細い雀」「身細き雀」と詠むか、「雀の身が細い」とするなどしないと、伝わらないと思います。
◆リズムを崩した意図が伝わりません。
五七五は俳句にとって大切なリズムだと思います。それを崩すのには一定の説得力が欲しいのですが、この句のリズムの崩れに説得力があるかというと・・???です。
「まだ早い」とかではありません。
私が自分で作る場合は、五七五のリズムを確保しないことに意味・必然性があるか?ということを気にします。
それのない「自称破調」の句は、リズムを保つ努力を放棄しているように見えて、いただきにくいのではないかと思っています。
・身の細き雀啄む冬日かな
・冬日さすや細き雀の啄みぬ (上六字余り)
点数: 2
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初心者です。485の破調になっています。まだ早いといわれると思いますが、「身の細った雀」と表現したかったので、「細い雀」「痩せた雀」とは言いたくなくて、「身細う雀」としました。575にするには、「冬の日や痩せし雀の啄めり」「細き雀の啄めり」でしょうけど、何か他にはご指南いただけませんでしょうか。