「ロボットの猫の給仕や鏡餅」の批評
こんばんは。
先日の俳句バトルが前提なので話が早いです。
この句はどこに置いてある「鏡餅」を見ているのか?という風景が難しいところです。
まつき○なさんの句(カバン売る句)の鑑賞で、この句はどこにいるの?というような会話があったことを覚えているでしょうか?本人は店頭で・・と言っておりましたが、「自宅でネットで売ってネットで買っている。ふと見れば鏡餅が置いてある」という風景に鑑賞されておりましたし、「とりあえず鏡餅を入れたように見えた」という鑑賞もありました。
御句、「ロボットの猫の給仕」これが某中華ファミリーレストランだとすると、季語「鏡餅」はどこに置いてあるのか?それはテーブルから見えるのか?ということになりますね。まあ中華料理屋に鏡餅が置いてあることもありそうですが。
季語「鏡餅」はやはり「誰かの家」のイメージが強く、となると今度は「ロボットの猫の給仕を使っているという、とんでもない豪邸」という受け取りにもなりそうです。
このあたりの季語とその他の部分の整合性が「溝」、つまり「遠すぎる」と感じる理由でしょうか。
この句の映像として出てくる鏡餅は「どこにあるのか」という問題ですね。
添削のお礼として、イサクさんの俳句の感想を書いてください >>
夏井先生の「俳句バトル」を視聴して、鏡餅で一句詠んでみました。
ロボットの猫は実家近くにあるチェーン店の中華料理店で活躍していました。
ロボットはこれから先も進化して、いずれは一家に一台となる日が来るかもしれないと思いました。
よろしくお願いしますm(_ _)m