「孫来たる証や縁の西瓜の芽」の批評
回答者 かぬまっこ
おはようございます。✨「西瓜」は秋の季語ですが「西瓜の芽」とした場合はどうなのでしょう。うちは畑で西瓜を毎年作ります。なので、西瓜の芽が出るのは春です。因みに五月の連休頃に苗を買ってきて植えます。
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作者 いなだはまち 投稿日
回答者 かぬまっこ
おはようございます。✨「西瓜」は秋の季語ですが「西瓜の芽」とした場合はどうなのでしょう。うちは畑で西瓜を毎年作ります。なので、西瓜の芽が出るのは春です。因みに五月の連休頃に苗を買ってきて植えます。
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回答者 塩豆
どうもこんばんはです!塩豆です。
推敲前の俳句のコメントも見てぎりぎり意味を酌めた気がします。孫と西瓜の種飛ばしをしてそこから出た芽が「孫来たる証」と表現したのでしょうか。面白い発想と思いますがコメントがなければ少し解釈が厳しかったかもしれません。その理由の一つが「孫来たる理由」が「緑の西瓜の芽」のことを指し示すこと以外に、別の何かを指し示す可能性があったからです。それどころか寧ろこちらを勘繰ってしまう読み手の方が多いと思うのです。ここは「や」を「の」に変えてしまうほうが良いと私は考えます。ちなみに私は切れの無い俳句に抵抗は無いタイプです。人によっては他の方法を提示する方もいるかもしれません。
もう一つ助動詞の話を。
「孫来たる証」では孫が訪れてまだ帰っていない状態になります。「孫の来し証」とすれば孫は訪れて再びすでに帰った状態になります。理由は助動詞の「たり」と「き」を調べてもらえばわかると思います。芽が出るのですから「孫の来し証」とした方が私はしっくりします。
発想は良いと思いますから、後はそれを的確に表現するための経験と慣れでしょうか…。
点数: 1
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西瓜の芽の修正句です。
相変わらず説明不足で意味不明でした。場面をかえました。