俳句添削道場(投句と批評)

以下の俳句の添削・批評をお願いします!

涼風や温かな手の老牧師

作者 友也  投稿日

コメント(俳句の意味。悩みどころ)

このページに来てくださり、心から感謝します。処暑を過ぎて少しだけ暑さが和らいできたように思えます。どうぞご自愛ください。

京都の教会の特別集会に参加したのですが、牧師に手を握って祈っていただきました。鬱状態が本当に酷く、自閉症で生きるのも大変で、働くこともできず、障害年金だけが頼りの人生で辛い思いをしてきましたが、祈ってもらって少し楽になったように思えます。

今は、ベッドの上で俳句を作ることが支えです。一日の大半をベッドの上で生活してますが、筋ジストロフィーという、私よりも遥かに過酷な運命を抱えて、若くして亡くなられた牧師のお孫さんのことを思うと、私の試練など大したことはないので、なんとか生き延びたいです。

説明句にしないためにはどうすればいいかが、未だにわかっていません。今投句する俳句が説明句か否か、季語の選択が適切かどうかもわかりません。五里霧中といった感じで、盲人が道を探っているように思えます。皆様の胸をお借りできればと思います。

批評・添削していただければ幸いです。よろしくお願い致します。今日も惜しみない祝福がありますように。そしてさらなるご健勝とご健吟を心よりお祈り致します。私も至らない点が多いですが、精進して参ります。

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「涼風や温かな手の老牧師」の批評

回答者 緋夢灯

友也様

お久し振りです、こんばんは✨
これはとっても素敵なお歌ですね!
私はそのままを味わいたいと感じました。
ありがとうございます。

句の評価:
★★★★★

点数: 1

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添削一覧 点数の高い順に並んでいます。

「涼風や温かな手の老牧師」の批評

回答者 げばげば

句の評価:
★★★★★

こんにちは。
いつも勉強させていただいています。
長くなりますが、うっとうしかったら読み飛ばしてくださいね。

説明ということについては、みなとても悩むところだと思います。
散文と韻文の違いは、大きく言うと、『韻律(リズム)がある詩である』ということです。
ということは、作句は、散文になることを避けるところから始まっていくのがいいと思います。

いくつか意識したいことはありますが、

1.いつ、どこで、だれが、どうして、どうなった。という説明を極力省略したいということです。これを一個ずつ説明すると、相手にはきっちり伝わりやすくなりますよね、その分、余白というものがなくなるのです。すべてをきっちり説明することを日々やっている私たちには難しいことですが、それを説明せず余白を残すことで、読み手の想像意欲を掻き立てるものが詩だと私は思っています。

2.とくに、どうして、の部分をとくに省きたいです。「〇〇だから〇〇になった」という因果関係は、一番散文感報告感を助長し、詩が薄れます。
 雨降りてわたしの服はうるおひぬ(季語ないけど)
こういうのは、雨が降ったから服が濡れた、という感じになります。どうして濡れたかという部分が詩の邪魔をします。「だから」っていう説明になってないよなーと気をつけます。

3.次に気を付けていることは、動詞を減らすということです。
  学校へ行きて国語を教わりぬ(季語ないけど)
 これは、経過を報告している感じ。これをやって、その後これをした、その後こうなった、みたいな感じは避けたいのですが、動詞が多いとこの辺りが散漫になりがちです。動詞は1個までくらいにしぼれるといいなあと。

4.助詞も「で」「に」みたいなのは極力避けます。
 炎天にテニスをしたる子供たち
 これでは、炎天という季語が、テニスをするためのただの舞台装置みたいになるので、せめて、切れを入れて炎天や、にするとか。今後「に」「の」「を」「へ」いろんな場面で助詞の選択に悩むこともあると思います。

とりあえず、テクニック的なことで4つ書いてみましたが、友也さんのこれまでの句は、比較的過去にあった自分の体験を報告しようとする句が多かったということは否めません。
そこで、一番意識したいことは

あった「コト」ではなく、「モノ」を詠むようにしようということ

これをお勧めします。

私は去年アメリカで美しいひまわりを見ました。
という「コト」を詠むのではなく、その「ひまわり」に焦点をしぼって詠むということです。

たとえば、私の大好きな俳人フルポンの村上さんがおっしゃってたのですが、

「スラムダンク」という漫画は、湘北高校の桜木花道くんが、バスケへたくそなところから、一生懸命頑張って頑張って紆余曲折あって、仲間と一緒に大会に出て、活躍した。という青春のお話なのですが、お話は何十巻も続く壮大なドラマなのです。

そして、最後にボロボロになった桜木のバスケットシューズが映し出される漫画のワンカットがあります。と。俳句はその一枚のコマだけを切り取る感じ。そのバスケットシューズという「モノ」だけにクローズアップして詠み込むことによって、その周りにあった今までの練習とか楽しくもつらい日々とか仲間との友情とかが読み手に勝手に想像させられる、そういう『余白』を目指したいということです。

友だちと毎日練習をがんばりました、という「コト」を詠もうとするのでなく、「シューズ」だけを描くんです。われわれは、そんなんで伝わる?桜木は練習頑張ったとか説明せな伝わらないのちゃう?と疑いたくなるのですけど、
『きっちりバスケットシューズを描写することもしうまくできたら』、読んだ人は、ちゃんとその練習の日々まで勝手に想像してくれるんです。

私もいつも、練習をがんばった日々を説明して詠むのではなく、どうやったらみんなが想像をふくらますことができる「シューズ」を詠むことができるかということを意識して毎日作句をやっています。

友也さんはいろんな体験と感受性を持っておられる方だとお見受けします。あふれるばかりの詠みたいことがあるようです。その体験や思い出から、「モノ」をピックアップして、その「モノ」を詠むことで、書いてないその周りの思い出や体験を読み手に想像してもらえるように作句してみようとしてみてはいかがでしょうか?
これが、イサクさんのおっしゃりたいことではないのかなあと思ったりしていつもコメントを読んでいました。たくさん書きましたが、何か伝わるものはありますでしょうか。長文失礼いたしました。

ちなみに今回でいうと季語の涼風と、老牧師の手という「モノ」にアップしているので、いいと思います。牧師よりは「手」に寄っていきたいなあという感想と、「温かい」というのは、手を握られた人の感想なので、目で見て「温かいなあ」と感じるものではない、これは「友也さんが握られた句」だとして限定して詠むならそのままでもOKですし、手を見た目で描写していくのもありです。「きれいな手」しても「ささくれだった手」にしてもいいですし。または、手のひら、というだけで、温かいということばも省いて余白にしておくと、詠み手は「涼風」という季語から想像してくれるかもしれません。たとえば掌だけにアップしてみますか?「老いた」はまだ推敲可能ですが。

涼風や老いた牧師のたなごころ

点数: 4

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「涼風や温かな手の老牧師」の批評

回答者 イサク

句の評価:
★★★★★

こんばんは。

友也様のコメントで色々考えましたが、結局のところ「楽しくなければ俳句じゃない」ので。
わからないことは考えすぎてもわからないので、「俳句の何が楽しい」か、考えてみてもよいのではないですかね。
作るだけで楽しい、読むだけで楽しい、ならばそこまで悩む必要はないです。
上手くなりたい、という気持ちが自分にとって重要かどうか?というところになるかと。
ちなみに何事でも当たり前ですが「評価されたい」が軸になると、一部の天才さん以外には辛い道になります。

ただ、友也さんの句は、まだ藤田先生の言うことを守られていないように見えます。「涼風」と「温かい」で意味が近いですからね。
できないと悩むのは、もう少し勉強を進めてからでよいかと。

ちなみに、私は俳句に詩を出すための型の重要性を解く側の人間ですが(型が不要なら無季自由律でよいので)、楽しくないなら外れてみてもよいかと思います。

・桃の実や温かな手の老牧師

点数: 3

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「涼風や温かな手の老牧師」の批評

回答者 げばげば

句の評価:
★★★★★

再訪です。
ほぼ同じくらいのタッチ差でイサクさんがコメントくれてますね。
私は長々書きましたが、イサクさんは「楽しい作句」「上手くなりたい作句」、自分の目的は何なのかを考えてみるのがよい!ということですね。おっしゃる通りかもしれません。

「上手くなりたい作句」には苦悩はつきものかもしれませんしね。
たしかに私も毎日けちょんけちょんに言われながらも、ただ一心に上手くなろうともがきましたし。でも、こんな言ってくれるサイトなんてどこ捜してもないのだから貴重でしたけどね(^▽^)/

点数: 2

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「涼風や温かな手の老牧師」の批評

回答者 なお

句の評価:
★★★★★

友也さん、こんにちは。
「説明」のことでとてもお悩みのご様子です。私もしょっちゅう説明してしまいますので僭越ではありますが、ちょっとだけアドバイスさせていただきます。

友也さんの句はどうしても報告・説明調になりがちです。なぜなら、昔の経験や最近の旅行などを句の題材になさるからです。
こんなことがあった、あんな人がいた、あんなもの食べたと、とにかく一生懸命に読者(道場のメンバー)に伝えようとなさっています。
ただ、私たちが知りたいのは、そんな経験から、友也さんが何を感じたか、どう思ったかなのです。
しかしそれを、嬉しかったとか悲しかったとかという感情をそのまま出されてしまうと、これまた想像の余地がなくなり詩情が生まれません。難しいところです。

あと、こんなことも言えると思います。「等身大」。今のご自身のありのままをお詠みになるのです。
私は友也さんの今のご状況をわずかですが存じ上げていますので、この辺は微妙であり、あまり申し上げてこなかったのです。
これだと、過去のご自身の記憶の中だけにある思い出を報告するよりも具体性や臨場感が出て、説明感が消えるか薄れると思います。

例えば、明日で八月も終わりです。友也さんはどのような八月尽を過ごすのでしょう?

・宿題も課題もなくて八月尽

即吟で恐縮ですが、たまには留学の思い出や教会のことからちょっとだけ離れるのは悪くないと思います。先日のひつまぶしのように!

点数: 1

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「涼風や温かな手の老牧師」の批評

回答者 たーとるQ

句の評価:
★★★★★

友也さんお疲れ様です。俳句で繋がっていきましょう。
さて、説明句にならないかという悩みの解決案になるかはわかりませんが、友也さんにたーとるがおすすめしたいことが。

「上五に季語を入れる型を止めてみる」
友也さんは基本の型が板についてきた印象なので、中や下の句に季語を入れてみたり、あるいは五七五にとらわれない型まで詠んでみると、同じ旅先の体験談でも表現の幅が広がって説明や理屈を感じにくくなるのではないでしょうか。色々な俳句のリズムを見つけるのは楽しいですよ。

点数: 1

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