「ひとり見る過ぎた花火の年月や」の批評
回答者 なお
山口裕子さん、こんにちは。
御句拝読しました。花火を見ると、色々と思い出しますよね。そのお気持ち、よくわかります。
お気持ちはわかるのですが、俳句は、ちょっと手直しが必要ですね。
特に最後の「や」ですが、「や」は句の途中に置いてひと呼吸入れ場面転換をする、というような働きをしますので、末尾に来ることはないと思います。
御句を、裕子さんのお気持ちに沿ってちょっと詠み直してみると、
・過ぎし日々思ひつつ見る花火かな
・過ぎし日を偲び一人の花火かな
二句目は打ち上げ花火ではなく、線香花火のイメージになってしまいましたね。さだまさしさんの世界です。
こういうシーンは類想句が多そうです。ですので、せっかくですから、花火を未来に向かって打ち上げられた希望の光のように詠んでみませんか?
・来年は彼を誘うぞこの花火
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今は一人で見ている花火。昔はそれぞれ色んな花火が思い出されます。