「由比ヶ浜ギャルのトマトは手にし頃」の批評
回答者 腹井壮
罪男さん、おはようございます。はじめまして。この句がサザン的と感じてしまうのは助詞の「の」を使って「トマト」を例えにしているからでしょう。季語としての「トマト」優先するならハオ二ーさんの添削が適切だと思いますが、例えを優先するなら原句のままがよろしいかと思います。
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作者 罪男 投稿日
回答者 腹井壮
罪男さん、おはようございます。はじめまして。この句がサザン的と感じてしまうのは助詞の「の」を使って「トマト」を例えにしているからでしょう。季語としての「トマト」優先するならハオ二ーさんの添削が適切だと思いますが、例えを優先するなら原句のままがよろしいかと思います。
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回答者 ハオニー
はじめましてハオニーです
サザンのような歌詞ですね
俳句としては、「由比ヶ浜」という地名とギャルとトマトとが面白い取り合わせです
「手にし頃」は気になったので、どういう意味か調べました
「手にした頃だろう」という解釈が一番すっきりしますが、いかがでしょう?
それがただしいとなると、助詞の使い方が違う気がします
由比ヶ浜ギャルはトマトを手にし頃
だと、ギャルはトマトを手にした頃だろうという意味になるのです
しかし、敢えてあの助詞を選択したのだとしたら、おかしいと疑問を持つ人が出てくるでしょう
意図的にやるのは、けっこう難易度が高いものです
点数: 2
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夏ですのでこういう句も作ってみました。