「龍淵に潜む一本足鳥居」の批評
回答者 ドキ子
添削ありがとうございます。勉強になります。季語はたくさんあって、意味もそれぞれにあって、難しいです。語彙力もないのにTVを観て挑戦しているのですが、TVに映る句も良し悪しがいまいち分かっていません。励ましありがとうございます。がんばります。
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作者 つちや郷里 投稿日
回答者 ドキ子
添削ありがとうございます。勉強になります。季語はたくさんあって、意味もそれぞれにあって、難しいです。語彙力もないのにTVを観て挑戦しているのですが、TVに映る句も良し悪しがいまいち分かっていません。励ましありがとうございます。がんばります。
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回答者 友也
土谷海郷さんの俳句を拝読しました。
発想が良くて、参考にしたいと思いました!
この句も辛い句ですね。「龍淵に潜む」という季語も初めて知りました。「一本足鳥居」との組み合わせても興味深いですね。龍が天に登る日という日は地球上から原爆がなくなる日でしょうか。不可能に思えますが、そんな日が欲しいと思います。
「マリア像」への添削ありがとうございました。本当に被爆マリアは悲惨ですよね。身に沁むという季語いいですね。ぜひ使わせていただきたいと思います。歳時記をアプリで買ったのですが、あまり頭に入ってないですね。調べながら覚えていくしかないですね。
次回作も楽しみです。今後ともよろしくお願いします!
点数: 1
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回答者 イサク
こんばんは。
「龍淵に潜む」がインパクトがあるわりに風景がない季語なので、固有名詞『だけ』と合わせるのは厳しいかな・・・と思いました。
この季語で「いつの日か龍が天に登る日が来ることを願って」これを持ってくるのは理屈ですしねえ・・・
お気持ちはいただきます。
点数: 1
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優れた添削・批評は日本俳句研究会の記事として、転載、引用させていただく場合がございます。ご了承ください。
季語は「龍淵に潜む」
一本足鳥居(または一本柱鳥居)とは、長崎の原爆で片足だけ吹っ飛ばされて、もう片方の足だけで立っている鳥居のことです。
「龍淵に潜む」は仲秋の季語なので使うには時期的にやや早いですし、そもそも使い方が合っているかわかりませんが、今日は長崎原爆の日なのでそれに合わせて、核廃絶への思いと、いつの日か龍が天に登る日が来ることを願ってこの季語を採用し、句を作りました。