「踏切の向こうに君と夏の海」の批評
回答者 しお胡椒
なおじい様! 私の未熟な俳句に対しましてもいつも丁寧なコメント助言を頂きまして有り難う御座います。刹那的に詠む俳句が多く自分目線で詠んでしまいます。 読み手からみれば疑問でしかない状態なのですね。
齢七十五 脳ミソも萎縮状態 でも頑張ります。これからもどうぞ宜しく御願い致します。
前置き長くなりました。
なおじい様の「踏切の向こうに君と.......」
に今の朝ドラ〈ちむどんどん〉が思い浮かびました。 爽やかな夏の海と若い二人の風景が踏切の向こうに........鬱々としている今の時代に頂く清涼飲料のようです。
勉強させて頂きます。有り難う御座いました。
点数: 1
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こんにちは。前句「炎天のバレーボールに飛ぶ悲鳴」は技量不足でした。まず、これは屋外の素人のバレーボールであり、屋内の試合などではありません(場所は砂浜でもビルの屋上でも、学校の校庭でもいいです)。実はこの夏のことではなくて、コロナ前のことです。
そもそもくそ暑い真夏の太陽の下でなんでバレーボールやるのよ、という感じでありながら結構マジでみんな上手くて、スパイクが決まったりレシーブ取れたりすると悲鳴とも歓声とも取れる大きな声が上がってとても楽しそうでした。
ただ、ボールがとんでもないところに転がったりすると確実に悲鳴があがりました(笑)。
しかし悲鳴としたことで、ケガとかを思い起こさせてしまいました。
バレーボールと言い切ってしまうと公式っぽいなと思いながら、バレーだけではこれまたわかりにくいかと思い…。失敗作でした。
本句は海沿いの古い私鉄沿線の、もう何十年も前の光景です。ご意見よろしくお願いします。