「大夕焼時が止まったかのような」の批評
友也さん、こんにちは。
御句拝読しました。
夕焼けを見ていると、その美しさにもう何も言うことない、何も言えない、言葉が出ない、そんな時ってありますよね。わかります!「時が止まったかのような」というのもそのようなことだと思います。
ただ、俳句では、出来るだけ抽象的な言葉ではなく、具体的に光景を描いて、「そんな景色を目の当たりに見たなら、あたかも時が止まったかのように思っただろうなぁ」と思ってもらえるような構成にしてみたいですね。
・大夕焼ひがしの空もあかね色
・家の屋根燃えるがごとき大夕焼
この二句は即吟であり申し訳ないのですが、読んでくれる人が、時が止まるほどではないとしても、「ああ、それはすごい夕焼けだったんだね」と言ってくれるかもというものです。
ただ、そもそも「大夕焼」という季語に、時が止まったかのように美しい夕焼け」という意味があると思いますので、それを説明するようなこともないと思うのですよね。
ですから取り合わせにしてしまうのもありかと。
・明日からは一人暮らしか大夕焼
・大夕焼今夜の汽車で帰る君
これは取り合わせになっていませんね、背景として使っている感じかな。
でも「時が止まったかのように」なっていませんか?なってないか。
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いつも大変お世話になっております。お元気ですか?
類想類句が山のようにありそうではあるのですが。昼と夜の間、大夕焼があまりにも美しく、ほんの僅かな時間がまるで永遠であるかのように思える。そんな気持ちを素直に詠んでみました。
本当は「時を止める魔法」とかもっと違う表現でオリジナリティを出したかったのですが、この句の意味を理解されないかもしれないと思い、やめておきました。
もっとオリジナリティがありつつ、この句の意味を理解されるようにしたいです。批評と添削をしていただければ嬉しいです。
今日もあなたに惜しみない祝福がありますように。輝くような一日でありますように。そして素晴らしい、人に感動を与える俳句を詠むことができますように。祈っています。