「大岩の凹みを登山道と云ふ」の批評
回答者 なお
こんにちは。長谷機械児様、いつもお世話になってます。
三徳寺の投入堂へいらっしゃったことがあるのですか?すごいですね!私は話には聞いていますがちょっと遠くて…。
イサクさんもおっしゃっていますが、素晴らしい経験をお詠みだと思います。
ただ、「と云ふ」でそれが薄れてしまうような気がします。人から聞いたような。実際にお登りになったのにもったいないと思いました。
提案句ですが、
・大岩の凹みこれこそ登山道
・歴史ある岩の窪みの登山道
・登山道岩に歴史の凹みかな
・先人のつけし窪みや登山道
自選が出来ないのと、「こんなに考えましたよ!」とお伝えするために(笑)、全部載せました。ご笑覧ください!
点数: 1
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お題「登山」。
登山は趣味でない(汗かき体質の私は、山頂に着く頃には全身汗だく。夏山にただ登るという作業は不快でしかない)ので、経験に乏しい…。
あれは登山だったと言える記憶といえば、20代の頃に行った、三徳山三佛寺奥の院(投入堂)の参拝。
時折現れる立て看板に沿って山道を進む。看板に従っているので、間違いはないはずだが、「これは道なのか?」という岩に出くわして、
初案:登山道と云ふものらしこの巨岩
これまでの修行者・参拝者が繰り返し手足を引っかけて出来たと思しき“凹み”を見つけたことを思い出す。まだ、この岩の時点では鎖やロープはなかったはずで(更に先に行くとそういう箇所も出てきた…)、この“凹み”こそが文字通りの“足がかり”。
…そこで、“岩があった”だけの初案に“凹み”を足してみました。