「胡蜂の群れは戒めの権化」の批評
回答者 ちゃあき
こんばんは。拙句「雨合羽」へコメントありがとうございます。
御句。胡蜂でスズメバチって読むんですね。知りませんでした。雀蜂に襲われた経験はないですが、百田尚樹さんの「風の中のマリア」は読んだことがあります。雀蜂のお話ですけどこの本読んでから雀蜂をあんまり恐いと思わなくなりました。ヴェスパ・マンダリニアという学名がかっこいいなあって思いました。
・戒めの権化のごとき胡蜂
またよろしくお願いします。
点数: 1
添削のお礼として、ちゃあきさんの俳句の感想を書いてください >>
蜂と聞いて思い出すのは、小学生のころ校庭のビオトープにスズメバチが巣を作り、窓を叩くくらいに蜂が大暴れしたことだ。動物図鑑の拡大された蜂を見て怖がった自分にはひたすら恐怖であったことを覚えている。今でも度々大型の商業施設やビルにスズメバチが住み着き、駆除業者を交えての騒動になるという話を聞く。
さらに、私の好きなゲームでは木を揺するとランダムでお金やアイテムが貰えるが、たまに蜂の巣が落ちてきて襲ってくるスズメバチから逃げ切れないと怪我をするというペナルティがある(普通に捕まえられるのだが)。
これらのことから、スズメバチというのは森の神が遣わせた兵士のように思えた。大量に森を伐採して建物を作ったり自然の恵みを妄りに得ようとしたりと、森を無闇に荒らす者への戒めなのではないか。一匹だけでも恐ろしいのに、群れるとなればまさに神の戒めが権化していると言える。
ただの蜂ではなく、大きさ・毒性・狂暴さどれをとってもトップクラスのスズメバチこそが戒めに相応しいと神も選んだのだろう(例えばミツバチだと一度針を刺すと死んでしまうが、スズメバチは何度も刺せる)。
特にこの俳句に自然への警鐘やメッセージをこめているわけではないことは留意されたし。私がただ蜂を怖れるだけだ。