「真鍮に光る鰙船の朝」の批評
回答者 イサク
再訪です。
私へのコメントの句などを見て・・・
この句の主とするところを、まず考えてみてください。
「ワカサギが真鍮のように光っている」が主として言いたいことであれば、「船」とか「魚屋」とかの場所はあまり関係ない気がします。「ワカサギが真鍮のように光っている」ことが大事で、あとは句の受け手の想像力に託せばいいと思います。
鮮度の高い魚がきちんと描けていれば、少なくとも捕った直後か、「漁港」ぐらいの想像にはなると思いますし、ぶっちゃけ上に書いた通り、この句では場所はあまり関係ありません。それよりも「鮮度の良いワカサギ」を描きたいです。
同じく、私のコメントにいただいた句の「釣り上げし」という説明、ご本人にとっては「自分が釣ったことの感動」が重要なのかもしれません。
ただしこれは作者の自己主張になるので句に入れるのが難しいです。重要なら風景として残してもいいですが、俳句十七音という短さでは「ワカサギが真鍮のように光っている」といっしょに入れるのは難しいかも。
説明を省いた方が感動は伝わると思います。
・真鍮光るごとき鰙釣り上げた (上五字余り、「釣りあげ」優先)
・鰙の真鍮のごとき光かな (中七字余り、「光」を強調)
・鰙の真鍮のごと光る朝 (「朝」は大事かも?)
・釣りあげて鰙は真鍮のごと (句またがり、「光」入らず)
点数: 1
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もっとわかりやすいのも考えたのですが、チャレンジしてみました。
あと突き詰めると破調になってしまうので、まだそこは勇気がなく…
伝わるかどうか?