「ラーメン屋へ集う家族の九月かな」の批評
回答者 りんごのほっぺ
ラーメン屋にいくつもの家族が集まっていて食事をしている光景は、
俳句になりにくいなと感じました。
ラーメン屋に一つの家族が集まっている、とも読めるので、
「店」「集う」「家族」「集う」が重複表現に見えます。
句意からは離れてしまいますが、
「家族の構成員それぞれがラーメンの音をたてている食事風景」
などと、家族ひとつに焦点を絞ったほうが、
俳句らしくなるのではと思います。
点数: 1
添削のお礼として、りんごのほっぺさんの俳句の感想を書いてください >>
夜遅く、ラーメン屋に小学生くらいの子供を連れて来ているお客さんたちを見て
「なんでこんな時間に」と憤る反面、「食欲の秋だからとかっこいい理由をつけての家族団らんなのかもな」と自分自身が納得できる理由を見つけました
季語を九月としたのは、夏の疲れが出ていて家で料理するのが面倒くさいとなる時期だと私の偏見で決めました(
悩みどころ
九月という季語が適切に見えるか?
何か詩的な言葉があるか?
単なる状況説明の句となっていないか?