「青空に映える芙蓉と孫の声」の批評
回答者 イサク
こんばんは。
◆「映える」という動詞は、ある意味使わなくても当たり前(映えているから俳句にしている)なので、できるだけ使わない方向で練習した方がよいと思います。
(ちなみに「見える」「目立つ」などの動詞も同じ)
◆俳句の中に「孫」という語だけ登場する場合、普通は作者の孫だと認識します(よね?)
この句では祖父母が登場しないので、「孫」という言葉に意味がないです。こどもの声だと言いたければ「子」の方がよいと思います。
どうしても「祖父母と孫」と言いたければ、両方登場させた方がよいです。
(が、十七音という音数制限の中では、苦しいかも)
◆「と」の助詞はげばげば様の言う通り、検討の余地ありです。
◆「青空」「芙蓉」「子(孫)」以外にも「一緒にいる祖父母」「祖父母に抱かれた子」「散歩」「声」などの要素をなんとなく入れようとして、結果的に伝わりにくくなっているので、もっと単純にした方がよかろうと思います。
というか単純にしないと俳句十七音で伝わりません。
・青空の散歩や道端の芙蓉
・芙蓉咲き母の抱きたる子は笑ひ
点数: 1
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秋晴れの中、孫を抱いて散歩する父母を清々しく思いました。
最近、親子で俳句を始めてみました。
息子の句にも温かいコメントありがとうございました!
アイディアは良くても、キラリと光るモノにアドバイスするのが親にも難しく、成長させて頂きたいとコチラにお邪魔しました。
まだ右も左もわかりませんが、よろしくお願いいたします。